鬼殺隊を好きになれない理由

映画『鬼滅の刃 無限列車編』を観てきたので感想をば。

まず、表現力とか描写の仕方は非常に素晴らしかった。これぞ令和のアニメって感じで一オタクとしては興奮する。

あと泣けた。みんなラストシーンで泣いてたけど私だけ幸せな夢のところで泣いた。

しかし何よりも語りたいのは、圧倒的価値観の違いを感じたことだ。鬼殺隊に。

というわけで鬼殺隊の何が問題だと感じたのか詳しく書こうと思う。〜以下ネタバレ含む※辛口かも〜




まず、冒頭のシーン。

組織のBOSS(名前忘れたごめん)がお墓参りに行くんですね。

一人一人、鬼殺隊の隊士の名前読み上げながら、墓の中を歩く。

いや。

少しは反省をしろ。


アニメ観た時から思ってたんだけど、鬼殺隊って無茶な任務多すぎない?

明らかに実力に見合ってない任務を、詳細も聞かされずに向かうよう言われて、死ぬ。

これ、指揮官としては猛省すべきでは?


実は、私の価値観形成にかなり影響を与えた作品の一つに、天鏡のアルデラミンがありまして。

『全ての英雄は過労で死ぬ』

という名言があったんですよ。

主人公のイクタ・ソロークは、

「俺の隊に英雄はいらない。格上と戦って勝とうとするな。敵1人を3人で潰して楽に勝て」

といった哲学を説いてて、

あれは俺TUEEEな作品として数えられることもあったけれど、私からすると、

指揮官TUEEEだったのです。


今ググったらなんか働き方改革と結びつけて記事書いてる方がいました。

確かにあれ働き方改革だったわ。


話を戻すと、つまり私が無限列車編を観て思ったのは、

煉獄さんを死なせたのは鬼殺隊なのでは(暴論)。


なぜ鬼殺隊数人を送り込んで誰も帰ってこないところに、

じゃあ次は柱1人送り込んでみようか。

になるわけ?

柱1人で対応できる確証はどこにあったわけ?

てか残りの柱は何してんの。

最後のシーンでみんな色んな所で煉獄さんの訃報を聞いて悲しむシーンがあったけど。

あの時俺(私)が一緒に任務に行ってれば…!

と思う人はいないの…?

カットシーンがいけなかったかもしれないけど、

他の鬼と戦闘中ってわけでもないし、暇してた柱もいた気がするのだが。


上弦の鬼に対し柱1人では、明らかにキャパオーバーだと思うのですよ。まあ確かに上弦がくるって分かってるわけじゃないけど、情報不足のところには念には念を入れて対応しないと。

というか鬼殺隊は諜報部門を作りなさい。


煉獄さんは確かに、鬼に何回も感激されるくらいに底力があった。炭治郎が「俺もああなりたい」と思うくらいには英雄だった。

何回も言うが『全ての英雄は過労で死ぬ』。

確かに頑張るのは良いことだと思う。

まだまだできると信じて、努力して、強くなることは良いことだと思う。

それに、時には格上と戦わなければいけない時もある。

でもね、格上と戦うっていうのは、襲われた時とか、もうどうしようもなかった時に限るべきだと思う。

Dグレが悪魔の楽園と化した日本にたった数人しかエクソシストを送り込めなかったのは、もうそれだけしか生き残っていなかったから。


鬼殺隊はまだまだ強者が生き残ってるんだよね?

それぞれで戦うよりも、連携してチームを組んで各個撃破した方が絶対に強いと思うんだが。

そうすれば群れない鬼に対して、それこそ人間の絆という圧倒的な力を見せつけることができると思うんだが。

イクタ・ソローク「集団の運営において、リスクや労力の適切な分配はとても大切なことなんだ。組織全体を健全に働かせたいのなら、ひとりの構成員が過労を当たり前と思ってはいけない。これは軍隊以外にも言えることだよ。すごく重要だから憶えておいて欲しいな」


敵の戦力に対して十分な戦力を送り込むことに関しては、

審神者でさえカルデアのマスターでさえ最低限出来ていないといけないことなのに。


因みに、送り込まれた側(今回は煉獄さん)が、必死の覚悟で後輩を守る姿はかっこいいように見えるけど。

これに対してもしっかりと突っ込みがあったので紹介しておく()

イクタ・ソローク「自分が守らなければならないと考える。英雄と呼ばれる連中の共通心理ですよ」


ということで、新人の使い潰し、

柱でさえ上手く使いこなせない鬼殺隊は、

一回イクタに組織とは何たるかを教わってきた方が良いと思う。

別に調査兵団団長エルヴィン・スミス程のカリスマ性は見せなくとも良いんだけど、

組織の上に立つ者として少しはちゃんと戦略を考えて欲しい。


※このnoteはアニメ・映画しか観ていない状態での感想です。原作読んでない状態で好き放題書いて本当すみません。


最後にイクタの名言全文どぞ。

イクタ・ソローク「『全ての英雄は過労で死ぬ』と、不眠の輝将(ねむらずのきしょう)にくれてやったあの警句は、他でもない僕自身への戒めでもある。生まれ持った才能なんかより、英雄はむしろ状況が作り上げるものだ。
強大な敵、守るべき相手、貫くべき信念--それらの条件が揃えば、どんな人間もたやすく英雄に成り果てる。全体がかく在れと望む中に、ちっぽけな個人は掠れて消える。それこそが罠だとも知らずに」

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