母失き「母の日」


今を生きるすべての誰かが「誰かの子ども」
親となって改めて母親の凄さを想います😌

 去年はNoteを始めた年で「年子の妹との関係」を中心に、母の日について書いていました。今年は義母について書こうと思います。

じつは先月の上旬に義母は亡くなりました。タイトルが少し前にフッと浮かんではいました。義母との母の日を書いておこうと思うものの、うまくまとめられるのか…花の季節を迎え、母の日を控えて、あちこちで母の日のギフトが並ぶ景色に“もう義母のために花を選ぶこともないんだ…”と葬儀から帰る新幹線の中で義母をぼんやり思っていました。

義母はとてもアクティブな人でした。身体は小さいけどスポーツが好きで、その仲間ともたくさん繋がりを持って一人でも活発に過ごしている方。夫に言わせると、私と結婚して「(結果)母に似た人を選んだかも」とのこと。
実際、義母に会うとちょっと“言われてみればそうかもしれない…”と思うこともありました。

早くに実母が亡くなった私にとって、結婚が母と呼べる人を取り戻す「最後の方法」ということにまったく気がついていませんでした。初めて夫の実家に挨拶に行ったときはとても緊張しました。温泉街が近い町なので、義母と初対面でいきなり町の公衆温泉に入ったことが忘れられない思い出です。
義母は料理も得意だったので、地域の特長のある料理もいくつか教わりました。忘れないうちに作らなくてはと思います。
息子が生まれたとき、遠くにいる母の手を借りることはなく、無我夢中で育児をする中で写真はこまめに送るようにしていました。今回の帰省で息子の写真はすべて大切にとっておいてくれて感激しました。

毎年母の日の花が届く頃には、夕方電話がかかってきました。工場勤務だった義父の終業時間の習慣が抜けないようで、夫がまだ帰宅する前だと何度伝えても私が電話を取るので、私のほうが申し訳なく感じるほどでした。(やはり夫でないとちょっと寂しそう。夫が言うにはなまりが出てしまうので、遠慮して緊張するからしゃべりにくくて話が弾まないのだろうとのこと)でも、必ず私に“立派なお花ありがとう”と言ってくれたこと…。

30年間、あきらめていた“誰かの娘になること”が、義母のお陰で叶いました。遠く離れていても、母と呼べる人が私にはたしかにいたことが本当にありがたかったです。結婚してから新幹線が通り、帰省はかなり快適になりました。
が、やはりふるさとは遠いっ!あまり大した親孝行はとうとう出来ませんでした。義母は私に対してもっともっともっと…本当は言いたいことや希望があったと考えています。

出来なかったことだらけの私でしたが、お義母さん…今までありがとうございました。ダンナ様と息子を支えて行きますので、これからも力を貸してください。

母の日に終わりなんかない。少なくとも、私は終わらない。

あちらで、ウチの母に会えてたりするのかなぁ…。


今日まで外出禁止の身💧夫が買い物の
ついでにカーネーションを買って
きてくれました😂

とにかく今年も「母の日」についてのNoteが間に合ってよかった!じつは今朝までコロナ感染のため自宅内隔離でフラフラだった私。高熱はすぐ下がったのに、微熱が続き咳と鼻水で体調最悪で母の日を迎えていたからです。
家族にこれ以上ない迷惑をかけた2024年の母の日。
夫と息子は“母は家庭の太陽”と、しみじみ感じたとか感じなかったとか…。
いつも元気に、変わらず小さな家庭を照らす…ちっちゃい母ちゃんの大仕事!また明日から謹んでがんばらせていただきます。

やっぱり今年も「家族に感謝」の母の日でした。

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