気づけば4月も下旬…


帰りの新幹線の車窓…芝生やあぜ道のタンポポが
印象に残りました。小さくても輝く黄色い花は
お日様のようでした。

桜も咲き切り、大型連休の話題が出始めています。ちょっとNoteも久しぶりになってしまいました。3月4月と、予定外のことが続けて起こり本当にバタバタだったために、書こうとしたことも書けそうと思ったことも、書きたいと思ったことも吹っ飛んでしまいました。
私ももういい大人なので、うれしくないことや辛いことも“そこそこ”経験はしているのですが、この2ヶ月は本当に目まぐるしく過ぎて行きました。

じつは2ヶ月の間に身内が続けて亡くなり、帰省で能登を二往復しました。
3月は亡くなった知らせを受けて、慌てて新幹線に飛び乗った後“そういえば泊まる所はあるのかしら?トイレやお風呂は大丈夫なんだろうか?”と心配になったのですが、私の向かった辺りは少し前に水道が復旧して、お風呂もトイレも問題なく使うことが出来ました。(法要をしたお寺はトイレの水洗が使えず「手動」で対応)被災地でのお葬式…あと一週間早かったら、セレモニーホールもまだ使えなかったそう。ちょっとしたタイミングの違いで、セレモニーホールの宿泊施設を使わせていただけて、私はトイレにもお風呂にも困らず滞在させていただくことが出来ました。

震災発生後、能登が心配でずっと気になっていました。思いがけないことで現地に行って自分の目で現状を見ることになり、お葬式と被災した親戚の暮らしにダブルでショックを受けました。
お葬式と同時進行で、被災した建物や崩れたお墓の対応などを話し合ったりして、復興が「途方もなく長くて大変な道のり」であることを意識せざるを得ませんでした。

そして四十九日を一週間後に控えた4月…お葬式のために予約した新幹線の切符を取り直して再びの帰省。2ヶ月続けて同じセレモニーホールの宿泊施設頼りで赴きお葬式を執り行わせていただきました。被災した中、親戚も「続けてのお葬式」に疲労の色は濃く、悲しみと恐縮で胸が潰れそうでした。
遠方から2ヶ月続けてセレモニーホールの宿泊施設を頼りに来たので、ホールのスタッフさんにも感謝感謝でした。

地震発生から3ヶ月…道路も水道も徐々には復旧しているのですが、あまりにも被害の範囲が広くて多すぎるため、そこで生活している方たちには「傷ついた暮らし」という現実があるだけ…。我慢を重ねているぶん、疲労も漏れ出していることを切実に感じました。今回亡くなった親戚の家の整理もすでに進めてもらっている中で“物が多くて大変”と言っていたことが心に残りました。

法要で行ったお寺でご住職からも「震災の中での別れ」についてお話があり、私なりに気づきや反省することがいろいろありました。
抱えきれないほどの物に恵まれてもなお、まだ何かを求めるのが「この世の人」だけど、今回の震災のような災害で「多くを失っても残るものがある」そして、その残ったものに気づいて感謝することが大切であると…。

少しずつですが、私も身のまわりや、仕事や人との繋がりについてあれこれ考えてみたりしています。また、とりあえず“目に見える変化を起こそう!”と思って、断捨離的な整理を始めました。何かがもし起こったときに、家族に迷惑をかけずに済むように…まずは「物を少なくすること」に挑戦中です。

来月三度の「能登に帰省」です。幸い帰省予定は連休後の5月下旬の予定。これにはかなりホッとしています。満開の桜を能登でも観ることが出来たのは、悲しい帰省の中の「ささやかな思い出」次の帰省では少しでも復旧が進み、能登の方々に少しでも“今よりもの笑顔”が戻っていることを祈っています。

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