見出し画像

儘(まま)ならなくて良かった人生

私は中学のときある私立に通っていた

品行方正が歩いてる

そう言われるくらい真面目だったらしい

そう言われても

本人はどこまでもそれが自分で

普通だったから

反応の仕様がなかった


中一の夏、初めて好きな女の子が現れた

学校に行って彼女の顔を見る度にドキドキが止まらなかった

寝ていてもにやけてる自分がそこにいた

信じてはもらえないかもしれないが

彼女のことは26歳になる頃まで好きだった

丁度その頃彼女が結婚したことを知った

彼女の幸せを祈るしかなかった


思えば感情表現の乏しい奴だった

好きとは素直に言えなかった

好かれていても気づかないような鈍感だった


30代に入った頃同窓会があった

大きな同窓会で同期生の多くが参加してきた

彼女はなんと受け付け係をしていた

初めて彼女と面と向かって言葉を交わした

ドキドキはもうそこにはなかったが...

彼女は三人のお子さんのお母さんになっていた

幸せそうで、すっかり落ち着いてみえた

よかった


先生方と話をさせていただいた

覚えてはいただいていた

しかし先生方の口から出るのは

予想はしていたが

先生方を困らしていた生徒たちのことばかりだった

あれほど真面目にやれ!とおっしゃっていたのに...😔ウソツキダアタリマエカ


私は37のときに結婚した

今のワイフである

結婚した頃にハッキリした記憶がある

それは彼女とは子どもの頃既に出会っていたということ

家の近くの市場で


小五くらいのとき買い物を頼まれてその市場の乾物屋さんまで出かけたときのこと

ひとりの女の子がそこで店番をしていた

どことなく不安げで頼りなげな女の子であった

買い物にきた品物の値段は完全に覚えていた私は、値段を覚えていなかった彼女に対して、それは○○円(今では全く覚えていない)だからと説明しても、わからないから売れないの一点張りだった

印象とは別にそこは頑として譲らない商売人の子どもだった

仕方なく私は一旦家まで戻り、母親に事の顛末を伝えた

エネルギーの塊みたいな母親のことだった

あっという間に私と一緒に市場まで行き

あっという間にその物を買って一緒に戻ってきた

彼女は少々困っていたが乾物屋のご主人とは懇意にしていた母親の前では無力だった


その女の子が今の私のワイフ

運命とは本当に不思議なものである

彼女を同じ小学校だと思っていた私は卒業後彼女のことをふと思いだしアルバムを調べたことがある

しっかり調べたがどこにも彼女はいなかった

そりゃそうだ

彼女は隣の区の小学校に通っていたのだから...

25年の歳月を経て私は彼女と再会した

今なら出会うべくして出会ったということに気づく

縁は異なもの味なもの

ちなみに彼女は若々しく

私と歩いていると一回り以上若く見られている


ではでは🌱

「記事の価値に対する対価」として評価していただけるのであれば、歓んで素直に受け取らせていただきます。また、個人的な応援のお気持ちからならば、そのお気持ちに深く感謝します。有り難うございます。