このAI化のご時世に、ライターになりたいと思う訳。
こんばんは、ほのかです。
先日白川郷に行ってきたのですが、足をブヨに刺されて歩けなくなりました。
(そして、各所への連絡で「ブヨ」と入力しすぎて、「ぶ」の予測変換が🪰になりました。非常に不愉快。)
こういうショッキングな出来事があった時は、文章を書いて心を落ち着けるに限ります。
そこで、最近よく考える「私ってなんでライターになりたいんだっけ?」という疑問について、つらつらと書き綴ることにしました。
理由①:他人の話が聞きたいから
これは前々から自覚しているのですが、私は他人の話を聞くためにライターを目指しています。
私の目標は、数あるライター業の中でも「インタビューライター」。もともと文章を書くのは好きですが、それ以上に他人の話を聞くのが好きなので選んだ職種です。
他人の話を聞きたいと思うのは、私が自分自身のことをつまらない人間だと思っているからです。
大した特技も経験も話術もなく、誰と話しても45%の盛り上がり。初対面ならテンションで誤魔化せますが、2回、3回と数を重ねるとボロが出てくるタイプです。
そんな自分が嫌でたまらなくて、少しでも人がしないような体験をしようと、農作業をしたり、滝行に行ったり。
でも、そうした特殊な体験談も、最初は「すごいね!珍しい!」と盛り上がりますが後が続きません。結局、私は初回が最高潮の女なのです。
そんな惨めな気づきを23年間積み重ねてようやく気づきました。
「自分は面白い人間になれない」
その結果行き着いた境地が、
「だったら面白い人を知ってる人になろう」
1人でも多く面白い人と出会うため、私はライターになりたい。そうすれば少しは自分のことを好きになれる気がするから。
理由②:自分が生きた証を残したいから
これは最近気づいたのですが、私は自分の書いた記事が紙面やwebページに名入りで掲載された時とても満たされた気持ちになります。
自分が生きて、誰かと出会って、話を聞かせてもらって、考えて咀嚼した道筋が形として残ることが嬉しいのです。
私は、自分の容姿がデータとしてこの世に残るのが嫌で、
「醜い容姿も死んで骨になれば誤魔化せる」
「白骨化するまでの辛抱だ」
と写真撮影を頑なに拒んで生きていた時期があります。
その結果、どこで・誰と・何をしたという記録が全然なくなって、人生が味気なくなりました。
過去を思い返す手掛かりがないので、自分が歩んできた道のりと共に、自分の存在自体まで薄れていくような感じ。
そんな私にとって、文章は新しいカメラでした。
容姿を気にせずに、自分のことを記録できる。誰かに笑われたり馬鹿にされることなく、自分が生きた証を残すことができる。
その証を手元のノートではなく、わざわざ紙面やwebサイトに残そうとするのは自己顕示欲の表れです。
皆んながインスタに写真をアップするように、文章を書いてアップする。自分に自信はないけれど承認欲求はある厄介なタイプ。
そんな人間だから、私はライターになりたいのだと思います。
こうして書き出してみると、私は自分にしか興味がない人間なんだなと気づきます。
面白い人間になるために話を聞かせてもらう。
自分の存在を残すために文章を書く。
どこまでも自分本位で身勝手です。
でも、人間ってそんなもんでしょう。
結局主観でしか物事を捉えられない。
ただ、聞く→考える→まとめるのサイクルを繰り返していけば、主観の範囲を少し広げられるような気がします。
そういう意味でも、人の話を聞き、文章を書くことは面白い人間になるための1つの手段のように思えます。
そして、そうやって自分が少しずつ面白い人間になっていく過程が形に残る。まじ一石二鳥。最高じゃないですか。
書く必要がない世の中でも書き続けることの意義ってこういうことなんじゃないかと、密かに思う今日この頃です。
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