【読書メモ】保坂和志「小説、世界の奏でる音楽」
「十篇の、小説論という小説」というふうに、著者はこの本について述べている。
どういうことかといえば、この本は十章の小説論から構成されているが、その小説論のひとつひとつが、そのまま、小説論を自ら実践した小説そのものとしても読むことができるということだと思う。
すぐれた小説とはどういうものなのかを考える文章それ自体がすぐれた小説として成立している。
そういう意味でこの本は、小説を読むことの〈刺激〉と、小説と世界を見る目が拓かれる〈予感〉に満ち溢れた一冊だ。
たとえば、この本の中から次のような文章を引用してみる。
だいたい、何かを書いたり創ったり表現したりする人が「いま」という時代に信を置くことが間違っている。「いま」という時代が嫌いで、「いま」と距離を取りたいと思っている人を自分の読者や観客に想定しているはずで、そういう人たちの人数が多いはずがないではないか。何かを書いたり創ったり表現したりすることは、本質的に「まだ見ぬ者に向かって」なのだ。「多数=売り上げに向かって」ではない。
小説のみならず、何かを表現しようと考える人は、このような文章には少なからず背中を押されることになると思う。また、著者はこの本の中で「最良の読者」という言葉を使う。「最良の読者」であろうとしている人たちにも、この本は〈刺激〉と〈予感〉を与えてくれるはずだ。
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