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【小説】2020年の羅生門

2020年のある日の夕暮れ。

タロウは、ネットカフェの個室で就寝を待っていた。少年時代から万引きや自転車泥棒などの軽犯罪で再三警察に摘発されていた。社会復帰を目指し正業に就いたが、非正規雇用からの解雇で路頭に迷い、再び罪の世界に手を染めることを考え始めていた。

アルバイト先からクビになり、行くあてのないタロウにとって、このネットカフェ個室が唯一の居場所だった。業績不振で非正規社員の大量解雇が相次ぎ、実家からも追い出されていた。ここで前夜を過ごし今朝外に出たが、明日の宿泊料が捻出できる保証はどこにもない。

タロウはスマートフォンでニュースサイトを眺める。『非正規雇用解雇者、昨年比3割増の100万人突破。ホームレス激増の恐れ』コロナ不況で格差は拡大し、生活困窮者は激増の一途をたどっている。タロウもまさにその渦中にあった。

「この世の中で正々堂々と生きるなんて到底無理だ」。絶望の淵に立たされたタロウは、違法の手で金を稼ぐ覚悟がついていた。

その時、ノックの音が個室のドアを叩いた。「だれだ」とタロウが言うと、中学生の少女が入ってきた。許してください。お金が必要なんです」。そう言いながら、莉子は泣き崩れる。両親に虐待され、学校にも行けず、ネットカフェで生活していると言う。

タロウは彼女を見ると、自分が今、崖っぷちの人生を送ろうとしていることを思い出した。まだ希望がある。タロウは心機一転を固く決意した。

「心配するな。僕と一緒に正しい人生を歩もう」。タロウがそう言うと、莉子は「本当ですか」と目を輝かせた。

ところが、一夜明けると、莉子の態度は豹変していた。「私はそんな甘い人生なんか送れないわ」と冷たく言い放つ。

「どうしたんだ...」驚くタロウ。すると莉子はにやりと笑った。「私の正体がバレるまで、あなたは私の奴隷。断るなら警察に突き出すからね」。

タロウには彼女の正体が読めない。但し、言うことを聞かないと自分が逮捕されることは間違いない。仕方なく、彼女の言うがままに従うことにした。

それからというもの、タロウは彼女に使い走りさせられる日々が続く。金のない生活ながら、莉子に完全服従を強要される生活は次第に快感へと変わっていった。

ある日、二人はコンビニで万引きをした帰り、公園で食事をする。「私たちは社会の闇に生きる者同士なのね」と莉子が言う。「そうだな、俺たちはもう世間の目を見ることはできない」。タロウが呟くと、莉子はすかすかと笑った。

その夜、個室で就寝中。タロウは不意に起き上がり、包丁で寝込む莉子の胸を突き刺した。あの日公園で、タロウは自分が完全に人間性を失ったことを自覚したのだ。噴き出す血潮の中、莉子が絶命するまで必死に声を絞り出す。「私の正体は...自分を見失った...あなた...の...分身...だっ...た」。

シャワーを浴びているような血の流れる中、タロウは彼女の最期の言葉に呆然とするのだった。近未来日本で拡大する貧困と格差の中で、自分を見失った人々の姿が投影されていた。タロウは絶望の淵で、自らの人間性を手に掛けてしまったのだ。

そしてこの冷酷な社会は、まるで路上の死骸を見向きもせずに、冷たく人々を見守るだけなのだった。

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