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誤用に思うこと 精神医学まわりの概念について

     何をしようにも、身体が言うことをきかなくなることがある。ぼくが観察できる狭い範囲にだけ当てはまる、まだ一般化されていない発見ではあるが、この症状を訴えるのは、20代前半のひとが多い。身に覚えがある人もたくさん居るだろう。

 ここで指摘しておきたいのは、20代はやはり子どもから成人への過渡期であるという点である。社会への参加などが影響して、この年代にあるひとたちは脳が成長していく。成長つまり変化をするということは、不安定にさらされるということと同義であろう。そのような事情は、心因性のあらゆる症状が特定の年代に起こりやすい原因の1つに数えられる。典型的な症状は、不眠や、それに付きものの疲労感などが挙げられる。学校や仕事などに支障が出てくることは想像に難くない。とても辛いだろうし、ぼくも寝るのがうまくなくて苦労している。

 精神医学にて用いられる概念が、Xなどのプラットフォームにて誤用されている光景は、しばしば観察される。現状の対策としては、粘り強く正確な用法を追求していくことが有用だろう。加えてここで強調したいのは、精神科によって診断される病名には、社会的な要請に基礎づけがあることが多いことだ。このことが勘違いされがちであるように思われ、正確な認識を提起しておきたいのだ。

 現行もっとも普遍的な精神医学の診断基準の1つであるDSM-5に示されている分類により、ASDの一種と定められているアスペルガー症候群は、SNS上で誤った認識が広まっている、代表的な精神疾患であろう。頻繁にみられるこのような誤用は、偏見を振りまくから適切でないというのは勿論であるし、使う者の良識が問われるだろう。この国を統治する政府などに忠誠心を感じることはないが、母国語を正しく使うことは、日本人に生まれた者として進んでやっていきたいと、ぼくは考える。

 話をもとに戻す。すでに挙げたASDに関していえば、対人関係をうまく築けないことや、興味をもてる事柄が相対的に少なく限定されているなどの症状が認められる。そのようなひとたちにとって、環境の変化とともにあり、複雑な社会的役割が求められるようになった現代は、とても苦しい時代といえる。ただ、同時に指摘しておきたいのは、それらの症状(傾向といってもいいかもしれない)が及ぼす影響はグラデーションであり、ひとによって深刻度が異なる点だ。

 学校に行けていたり、就労に問題がなかったりするひとにわざわざ診断をくだすメリットは(たぶん)ない。どの病気にも社会的な関連は存在するが、精神科が診る病気はとくに関連が強いのだ。臨床の現場では、治療が長期化するにしたがって病名が変更されることが多々あるそうだが、ここまで言ってきたことと無関係ではない。無論、精神科医が現場で応答するのは、社会的な要請だけではない。患者の話を傾聴し、置かれている状況に対する鋭い洞察に基づいた提案をしていくことは必要であろう。多くの医師がそのうえで必要がある診断を下しているはずだ。

 これから述べることの詳細はいったん措くが、むき出しの新自由主義が広がりつつあり、冷淡さが瀰漫する過程にある日本では、精神疾患はいわば瘴癘のようなものだ。言うまでもなく、誰しも潜在的に精神の平衡を失う危険がある。だから、たとえば地震への対処法などのように、正確な理解が共有されるべきものであるはずなのに、偏見を広めるような、使い手の無知をさらす明白な誤用が、思いのほか問題視されていないことにはおどろく。ぼくたちが取るべき態度はすでに明らかであろう。ひとまず言及するなら、自分の理解を疑問にさらし相対化しつつも、当事者の苦しみを安易に相対化しない態度こそ、それにあたるのではないか。

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