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会社を清算し、死にたいと思った僕がPlalyという新しいSNSを作ります。



このnoteを書いた目的

はじめまして。

 すきま時間に新しいときめきを作るSNS「Plaly」を運営している株式会社Plaly代表の稲尾(イナオ)といいます。現在、サービスを開発するためのメンバー(エンジニア・デザイナー・COOタイプの人間・オフィス・お金)が足りないです。仲間集めのためのnoteになります。もし、読みたくないよって方はすっ飛ばして欲しいです。もし、僕のことを心配してるよ、面白そうなnoteだなって、久しぶりに会いたいなって方は読んで欲しいです。

読まれる人のために書いてます。

稲尾拓也という人の紹介

 簡単に経歴を紹介すると、自分の経歴としては小学校から中学三年生までは普通の少年でした。その後、高校時代にD2Cブランドの創業に携わり、その後大学に入学し、メデイアの立ち上げを2つやり、その後、ファッション系SNSで起業し、ピボットし小説系SNSをやり、その後会社を清算しました。その後、大学を卒業し、スタートアップに入るも自分でやりたい気持ちが抑えられず、自分でプロダクトアイデイアを考えています。

大学卒業まで

僕は大学卒業するまで、結構自由な生活をしていたと思います。それは中学卒業後から。

小学校から中学卒業まではどこにでもいる普通の少年だったと思います。小学校の時に堀江貴文さんが捕まったのをみて、周りがなんで捕まったのかを教えてくれませんでした。正確にいうと捕まった理由は悪いことをしたからだよと答えてくれましたが、どんな悪いことをしたのかを教えてくれませんでした。その秘密を探るにはその世界に行くしかないんだなと思い、当時10才で起業したいと思ってました。だけど、小学校、中学校は普通の少年でした。部活で剣道をやっていましたのと、あと、絵がうまかったです。中2の時に部活の先輩と揉めて、部活にも行くの気まずくなり、学校に行くのも気まずくなり3ヶ月だけ学校と部活をお休みしていました。

その時に助けてくれたのは、「SNS」と「ある先輩」でした。

家で何してたかというと、よく仮想の野球チームを作って遊ぶ人っているじゃないですか。あれをよく親のパソコンを使って、野球や剣道の仮想チームを作って遊んでました。いいチームを作ると、ネット上の人達から褒められたり、君が1位だねと言われたりしました。逆にくそみたいなチームを作ると、今だったらツイッターで叩かれたり、リアル上で貶されたりします。だけど当時はそんな文化がなかったです。次は頑張ろうだったり、今回は調子悪かったですねと言われる感じでした。その時の僕には励みになりました。

ある先輩は何をしてくれたかというと、話を聞いてくれたり、学校というコミュニティ、部活というコミュニティの大切さを教えてくれました。その先輩とは僕の大事な友達のお姉ちゃんの彼氏だったのですが、優しかったです。その時は、学校に行くようになったら、この先輩とはもう話さないのかなと思いました。しかし、違いました。その先輩は僕に対してある道を提供してくれたんです。それは、D2Cブランドを手伝ってくれという話です。最初聞いた時は何がなんだがわからなかったです。たまたま絵が上手かったからという話で中学卒業後から手伝いました。高校に行きながら、高校で部活をやりながらリモートでやっていました。当時はadobeとかは使えなかったので紙にどんな服を作って欲しいか、どんな服を作るかを書いてました。紙にデザインしてました。最初はメンズのオーダーメイドブランドをやろうってなってやってたんですがメンズのオーダーメイドブランドって結構やってるとこって多いんですよね。なので、行きずまってたところコスプレのブランドをやってラブホテルにサブスクで配ろうってなりました。当時なんですが、ラブホにコスプレって置いてなかったんですよね。置いてる店はラブホの店員が秋葉原とかそういう服が置いてる店に買いに行ってたんですよね。それを知り、コスプレのブランドを作り、それをラブホ向けにはサブスク、普通のユーザー向けにはEC,リアル店舗、ラブホを通して売ろうって話になりました。結果、そのブランドは結局大学入学後に先輩が勝手に売りました。株主もいなかったのですんなりと終わりました。僕は少しだけお金をいただきました。 
その後、中学生から小説家を目指してたので小説にコンテストに出たりしました。小説コンテストで、全国大会3位になりました。
メデイア2つの立ち上げをやったりしました。
メディアは、ファッションメディアと、学生メディアをやってました。

その後、ファッションのSNSで起業しました。どんなサービスかというとファッションの動画広告を一般人が試着室に入ってモデルになりきるというSNS「Cuty」をやってました。その時はどうして「ファッション」×「SNS」という軸を選んだかというと元々僕がファッションをやっていたというのもあるのですが当時付き合ってた彼女がモデル志望だったんですよね。この子めっちゃファッション好きやし、試着室で写真や動画めっちゃ撮ってるんですね、その待ち時間ってうざかったですわ。だけど、「一般人がファッションモデルになる」っていうニーズとアパレル会社が芸能人を起用しても売れないって理由は「一般人の感覚に近くない」って答えが出ていたので10人の中の一人のマイクロインフルエンサーを増やせばサービスが伸びるんじゃないかなっていう欲とアパレル会社がマイクロインフルエンサーマーケティングをやり始めているのを見たのでこれはいけると思いやりました。また、ファッションの広告っていっぱい渋谷にあるけど、ファッション動画/ファッションCMってあまり見ないよねって思ったんのでやりました。結果はサービス内で5万投稿。アパレル会社は4社契約を結んでいました。だけど、当時の彼女と別れてしまったり、
自分のやりたいこと。自分の信念にあることが別だったのでやめました。

以下、当時の記事になります。

https://bizcampus.biz/for_students/student/6639.html

その後、何をしてたかというと、小説版のnanamusicを始めました。

僕自身、nanamusicというスマホで繋がる音楽コラボアプリが大好きです。

どうして好きになったかというと、FventureのTORYUMONFUKUOKAでnanamusicの創業者、文原さんとあったのがきっかけです。

僕自身、小説と音楽はどちらも好きです。小説は中学から投稿し続けて大学三年の時まで書いてました。全国大会にも出ました。

音楽は高校の時に、文化祭でバンドをやっていました。声は音痴なのでボーカルをやっていませんが音楽は好きです。昔は、一番好きなのはレミオロメンの粉雪で、今は西野カナのトリセツが好きです。

正直言って、その時までnanamusicというサービスは知りませんでした。ですがそのサービスをじっくり聞いてみるとまじでやばすぎるくらいいいサービスでした。やっぱりDMMに売却する起業家はこんなに面白いサービスを作るんだ、すげーなって思ったのが正直な感想です。

そこからnanamusicで遊んだことか、計り知れません。

そこから、小説版のnanaに踏み切ったのは2つ理由があります。

1つ目は、僕自身が小説家を目指していたこと。
学生の小説コンテストで、全国大会3位になりました。 

2つ目は、音楽で成功するなら、文字でも成功するのではないかと思った。人の五感として聴覚の方で感動しやすいですが、言葉というのは大切だということ。

以上の理由からはじめました。

だけど株主ともめたためやめました。

その後スタートアップに入る

その後、僕はスタートアップに入りました。

物流系のスタートアップです。

どの会社に入っていたかは言いません

詳細はこちらの記事に書いてあるかもです。


いる期間は楽しかったけど、やっぱり自分で起業したくて起業を決意しました。

僕は起業して、作りたい世界を作る

僕は起業します。

なにをやるか、

toC向けのソーシャルコミュニケーションサービスだ。

詳細については資金調達してから、ご報告させてください。

作りたい世界は、自分達の個人の状況の違いで、いままでつながらなかったものがたくさんある。
だけど、現在、snsや、個人情報の垂れ流しという文化により、簡単に繋がられるようになった。
だが、まだ繋がられないものが多くある。

例えば、現在で繋がりたい人には繋がれなかったり、現在欲しい情報がもらえなかったりしている。

この状況を解決し、現在繋がりたい人が、簡単に繋がられるような世界をつくりたい。

例えば、自分が明日渋谷にいる、だけど、この時間がめっちゃめちゃひま。こんな人に会いたいって投稿したら、会うみたいな世界をつくりたい。

ぼくは、繋がらないを繋がれるに、していきたい。


自分の目標

ぼくは来年のテッククランチで優勝

25歳までに、forbesunder30に選ばれること

そして最後にplalyというサービスを世界中に広めること。

10年でFacebookに勝ちます。




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