「初めて」と「子ども心」
昨日、初めてnoteを書いた。
自己紹介もそこそこに、丁寧語じゃない自分の言葉で綴ろうと思う。
「初めて」
一番思い入れがあって、一番失敗したくないもの。一番ドキドキして、一番印象を左右するもの。
その後何回も経験することもあれば、それ一回切りにしてほしいこともある。(結婚とか、就職とか)
初めてで躓くと不得意になったり、初めてで上手くいくと得意になったり。人間って単純だなと思うけど、初めての積み重ねがその人を作っていく。なんか素敵だ。
国民的人気番組「はじめてのおつかい」。あれを見ると泣いてしまう。大真面目に解説すると、あの番組は3通りの見方がある。
自分は①。お父さんが寿司職人で、息子に将来の夢を尋ねると「お父さんみたいなお寿司職人!」。反則だと思う。
感情移入するポイントが多いのは視聴者の子どもの頃の実体験、そして素人が「自分の家から、個人商店やただのスーパーで買い物」と極限までドキュメントに近づけているからか。映画「花束みたいな恋をした」でも、観た際に同じ感想を抱いた。
見どころは人それぞれだが、「初めてのおつかい」を通じて子どもが成長していくところにぐっとくる。
可笑しな理論だけど、「3回目のおつかい」だとか「17回目のおつかい」だったら絶対人気になっていない。とどのつまり初めてだから尊く、美しいのだ。
「子ども心」
職業柄、子どもと接する機会が多い。「パパ、あれ欲しい!」「ママ、これ食べたい!」の声を聞くたび、自分だったら絶対買ってしまうな、と内心でつぶやく。
一際輝いて見えるのは「ありがとう!」と言える子ども。どれだけすごいことか、自分では理解していないだろう。言えない大人も増えたこの世の中だからこそ、でもある。
最近友達と「どんなことを自分の子どもに教えたいか」を話し合った。
「お礼が言える子」「スポーツ」等色々あるが、必ず教えたいと思うことがある。
昨年公開された映画「糸」でのセリフ。実際自分はいざ目の前で涙を見たら、ただそばにいることしか出来なかった。けど、自分が逆の立場に立ったら抱きしめるとまではいかなくても寄り添ってくれるだけで感情は落ち着き、安心感があった。
人の感情に寄り添う大事さが分かる映画に感化された形となったが、ぜひ映画も観てみて欲しい。
子どもの頃って目に写るものにキラキラエフェクトがかかっていたんじゃないかと感じる。
地面には木の枝、空には無数の形をした雲、脇目ふらせば二階建てのバス。
建物や乗り物は巨大でどこかかっこよく、上下には無限の遊びアイテムがあった。
今は曇りガラス。くすんだ景色に狭い視野、頭上の花を見上げる余裕すらなくなったり。
対してちびっ子は常識を取っ払い、奇抜な発想当たり前。子ども帝国が作れてしまうほど、天才クリエイターの集まりだ。
「なんで?」。大人になって、いや社会人になってからその言葉を忘れかけていた。子どもの頃はアホほど使っていたセリフ。今じゃ与えられた仕事にイエスマン、疑問を持つことも薄れている。
その事に気づき、最近「なんでだろう」の思考を使うようにしていた。少し経ってから、上の友達との話し合いがあった。
『「なんで?」って言われたら、「なんでだろうね?」と返してあげたい。』
疑問で終わらせず、子どもに考える力を養わせる。それこそが大人の役割だ、大人心だと友人から伝えられた気がした。
子ども心は時に必要だ。失ったら老いていくだけなるかもしれない。ただ、子ども心だけだと子ども大人になってしまう。
いつか来る時のために、答えを導き出す子どもに寄り添える人へ。と思いを馳せた。
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