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人生はチョコレートの箱

 恋愛観の話。
 先日、名作映画「フォレスト・ガンプ」を見返した。1つの映画の中で何回も泣ける数少ない作品。ぜひ観て欲しい。(ネタバレあり)
 あと、名作野球ゲーム「パワポケ」の話も出したい。なんともミスマッチで恋愛に結びつくのか?という感じだが...お付き合い頂きたい。

「人生はチョコレートの箱。開けてみるまで分からない。」

 とは映画劇中のセリフ。主人公のフォレスト・ガンプは想像を絶するほどの半生を送ることとなる。
 彼が子どもの頃、ママが言っていたこの言葉に動かされるかのように。

フォレスト・ガンプ
 主人公のガンプは軽度の知的障害の持ち主。けれど、正直で嘘をつかず、才能も多く持っている。
 月日が流れると置かれた環境は変化し、そこで眠っていた才能が目覚めることもある。新たな出会いがあり、そこでまた運命も変わる。
 ガンプのママは、知的障害を持っている息子に分かるように、なんでも説明した。小学校で支援学校に入れるのではなく、普通の小学校へと入れさせた。
 バカにする人には怒ったり、ガンプを励ましたり。この題名のセリフは、そんな中での一言だった。ガンプはママからいろんな事を学び、ママを生涯大切にした。

 小学校に進むと、出会いが訪れる。ヒロインのジェニーだ。ガンプはこれから、ジェニーのことを一途に、まっすぐに好きでい続ける。
 2人は幼い頃、「豆と人参」みたいに一緒だった。ガンプがいじめっ子に追いかけられた時は「走って!フォレスト、走って!」と叫び、走りの才能が開花した。
 その後様々な局面で2人は出会う。ジェニーは自分勝手で、ガンプが愛し続けるたび姿を消して...どんどんと落ちぶれていく。
 ガンプは成功しても変わらず、愚直に、一人の女性を愛し続ける。そんな様に感動するのだ。

 「僕は利口じゃないけど、愛がなにかは知ってるよ。」

 劇中で何回かプロポーズをして「愛が何か分かっていないのに」とかわされるガンプだが、様々な経験をした後このセリフを言う。
 また、アメリカの大陸を3年以上走り続けた際には、理由ない走りを訝しむ人々に疑問を持っていた。物事に理由がなくちゃいけないのか?と。
 ママから受けた愛を十分に受けて、ガンプは一期一会の出会いを大切にした。目の前の人と真っ直ぐ向き合い、深く愛を持って関わってきた。どんなことがあっても助けようとした。

 つまり、愛する気持ちは頭の良さとか富とか名声は関係ない。愛とは大切な人と向き合い想い続けることで、好きだから愛する。そこに理由はいらないのだ。

シュレディンガーの猫
 箱の中の猫、という話をご存知か。(難しければ「なぜこんな難しい話をしたか〜」まで飛んでもらっても構いません!)

フタ付きの箱のなかに
①猫
②1時間以内で50%の確率で崩壊する放射性原子
③ 原子の崩壊を検出すると青酸ガスを出す装置

 を入れた場合に、1時間後には「生きた猫」と「死んだ猫」が1:1で重なりあっている不思議な状況が起こりうるのではないか、という話だ。
 ミクロ的視点(量子の世界)では重なりあった状態が起こりうるが、マクロ的視点(自分たちの世界)で言えばそれはあり得ない。箱の中の猫は1匹なのだから。この思考実験はその矛盾を指している。
 さらにバークリーの認識論によると、箱の中に何があるかを知覚していないと、その1:1の存在確率も変わる。とされている。認識されていないものは中身が存在できない、とも。

 なぜこんな難しい話をしたか。名作野球ゲーム「パワプロクンポケット」を引き合いに出す。
 通称「パワポケ」は野球ゲームなのに恋愛要素がある。自分もよくお世話になった。その際、恋愛ストーリーにこの話が挙がったのだ。
 ヒロインは神条紫杏といい、性格は生真面目で優等生。いつだって気を張り詰めている。
 紫杏は、人に心を開かなかった。そして愛は存在するが尊いものではなく、逆に「愛」を言い訳に罪を犯したり悲劇が起こったりする。その一言でなんでも済まそうとするのがダメだ、という持論があった。

 それでも、徐々に主人公へ心を開き、主人公にだけ本当の自分を曝け出す。「他人の期待する、架空のヒーローを演じ切ること」。
 今まで見せていたのは全部演技だった、と苦しむ紫杏に、主人公は言う。

 「全部演技だと主張しても、これまでの君がウソかどうかは確率が50%のままだ!さっきの君が言ったことなんて箱の中の猫が、暑苦しくなってちょっとフタを開けてみただけさ。すぐにしめれば、誰も気づかない。」

 バークリーの認識論からいくと、主人公以外には本当の紫杏は存在しない。どんな人格を演じていても〝箱の中の猫〟として紫杏を受け入れたこの言葉は「誰も知らないもの(苦しく演技していた姿)は存在しないのと同じこと」と言い換えられる。
 毎回深いストーリーを展開するパワポケ。大切な人を理解し、包み込んで守り抜く主人公から紫杏は理屈抜きの本当の愛を知った。

 ミクロ、マクロの話に少し戻る。生きていると大抵はマクロで解決できる。ただ、恋や愛のきっかけについては、「好きなのかも」と「そうではないかも」が1:1で重なりあっているミクロな状況が起こりうる、のかもしれない。たしかに恋愛は不思議で説明のつかない、複雑なものだ。
 「シュレディンガーの猫」と題名の「人生はチョコレートの箱」は被るように思える。人生も、恋愛もフタを開けてみないと何が起こるか分からない。チョコレートだってもう食べられて空箱の確率すらある。
 ただ、フォレスト・ガンプにママが説いたのはいつだって励ましで。
 箱の中身はチョコレート。ハッピーエンドを知覚していなければ、良い結末は存在しない。真っ直ぐ生きていれば最後には甘くていい物がきっと。
 ガンプが生き方を教えてくれた。

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