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安楽死について思うこと

はろはろ〜☆
今回は表題の通り、安楽死について語ろうと思います。
あまりいい話にはならないと思うので、おもしろおかしく生きたい人は読まない方がいいかも。

ではいきます。

安楽死とは、読んで字の如く、安らかに楽に死を迎える、というものです。
これはずっと昔からある議論で、今もなお賛否両論あるものです。

先に言っておくと、僕は導入賛成派なので、そちら寄りの考えであることはご了承下さい。

賛成の理由としては、細かいことを上げればキリがないので、1番大きなものをあげます。
それは、『命を絶つことも本人の権利』だということ。

ひとつの命として生まれた以上、本人の持つものは本人の自由です。
献血や臓器提供などもそうですね。
たとえば病院に行った時、臓器不全で入院中の方に適合した臓器を持ってるからって、本人の意思に関係なく摘出・移植はしませんよね。
必ず意思確認をされるはずです。

命も同じで、生きたいかどうかの意思を確認して、長らえるか安楽死か選べるべきだと、僕は思ってます。
家族や友人には申し訳ない考えですが、本人が望むなら逝かせてあげるのも優しさだと、僕はそう思うのです。

この考えに至った理由は至極単純で、自分が自殺を図った時には死にきれなかったからです。
何度かやって、すべて無様にも生き残ってしまい、とてもみじめな気持ちになりました。
同時に、生存本能って厄介だな、なんて思いましたね。無意識の根底で致命傷を避けやがる。


そのぐらい、自死って難しいんです。
自殺に成功した人を羨んでしまうくらいには、難儀なものなのです。
かといって、身近な人に『殺してくれ』なんて言ったって、はいわかりました、なんて言うわけないじゃないですか。
医者に言うなんてもってのほか。

日本ではどんな理由があっても人を殺したら罪になる。
誰だって罪人にはなりたくない。
だから、頼まれても断るしかない。
結果、みじめなまま生きるか、より確実そうな案を取るしかない。
安楽死という選択肢がないから。

また、昨今では介護疲れによる親殺し・子殺しのニュースをちょくちょく見るようになりました。
これは平均寿命が伸びてきて、人生百年時代と呼ばれる現代ならではの問題だと思います。

介護疲れによって家庭崩壊、なんて話も聞きますし、こちらも安楽死が選べたら違ってくるんじゃないかなと思います。
『充分生きた。介護で子供たちに迷惑をかけたくない。子供たちの足枷になりたくない。だから、逝くよ』
って。
そういう潔い方の選択肢として、選べてもいいよなあと。

では反対派の人はどう考えるのか?
これはどこまでいっても推測でしかありませんが。

日本人は偽善や美学が大好きです。
なので、単純に『命を粗末にするな』ってのが強いんじゃないかなと。
あと、『残される人のことも考えて欲しい』とか。

若者を特攻隊にして散らした国ならではの考えですが、その命を残すことによって周りの人の人生が狂ってしまう可能性を考慮してますか?
残される人のことを考えるあまり、逝きたい人のことをないがしろにしてませんか?

もちろん、本人合意の上で生き長らえることを選んだなら問題ないです。
僕は逝きたいと願う人を、周囲の意見、あえて悪い言い方をしますが、多数決という名の数の暴力、で生き長らえさせて、本当に丸く収まるのでしょうか?と思うわけで。

なお、賛否両論とは言いましたが、正解はありません。これだけは断言します。
正解はありません。
四肢を失っても生きたいと願う人もいれば、五体満足でも逝きたいと願う人もいる。
当人たちに対して生きていて欲しいっていうのは、周りの人のエゴでしかない。
人の世ってそんなもんです。

おまけ
社会的に見た場合、安楽死とはどうなのか?
日本人は他者を叩いて優越感を得る人が多いので、家族の安楽死を認めたら間違いなく周囲から叩かれます。
『あそこの家の人たちは家族を見殺しにした』
って、叩きやすい表現に変えてね。
ゆえに、今の日本で安楽死を導入しても、認知には時間がかかるでしょう。

他にも、税収などの金銭的な問題もありそうですし、導入する国は少ないんじゃないかなと思います。

SFとかにありがちなコールドスリープとかでもいいんですけどね、僕はw

だんだん話がズレていきそうなので、この辺でお開きにしますw
最後まで読んで下さった方、ありがとうございました!(^^)

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