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【微ネタバレあり】『劇場版フリクリ オルタナ』感想【「静」のフリクリ】

唐突ですが、私はthe pillows(以下ピロウズ)というバンドが好きです。他のどのバンドよりも好きです。さかのぼること19年。ピロウズが音楽を担当した伝説的OVAがありました。その名も「フリクリ」。ピロウズ経由でフリクリを見た私は、その圧倒的なかっこよさと意味わかんなさに衝撃を受けました。

そして2018年。新しいフリクリが、しかも劇場版で公開されるとの発表が。初日に早速、19年の時を経てバージョンアップしたであろう「フリクリ オルタナ」を観にいってきました。今回のブログはその感想になります。

まずはじめに断っておきますと、このブログはOVAへの言及がバンバン出てきます。なので基本的にはOVAを見た人向きのブログとなっております。それを踏まえてお読みいただけると幸いです。では、拙い文章ですが、何卒よろしくお願いいたします。



~あらすじ~
モヤついている高校生・河本カナ。
嵐のごとく登場するハル子。その時カナの額にお花が生えた!
煙を吐きながら街をぶっ潰すアイロン。
毎日が、毎日毎日続いていくと思っていた・・・
力を手に入れたカナはアイロンをぶっ飛ばせるのか!?
(「劇場版フリクリ オルタナ/プログレ」公式HPより引用)




※ここからの内容は映画のネタバレを多少含みます。ご注意ください。




・引き継がれるコンセプトとピロウズ

まず「オルタナ」でよかったのはOVAのコンセプトである「10代の成長物語」っていうのを引き継いでいたことです。大人になりたくない、毎日が毎日毎日ずっと続けばいいのにと願うような子どもっぽさを持つ主人公がハル子との出会いを通して成長していく。これはOVAでも「オルタナ」でも、たぶん「プログレ」でも変わらないでしょう。その不変さ、芯の通っているところに安心しました。

でも、毎日が毎日毎日本当に続くわけじゃないんですよね。10代はいつか終わり、20代、30台も終わり、そして死んでいくんです。カナはそれを知っていて、でも受け入れたくなくて、モヤモヤした日々を過ごしている。そういう未来を受け入れない姿が、まさにセブンティーンだなって。

さて、OVAにも出てくる「NO」という概念。「オルタナ」では右脳と左脳を繋いで超空間チャネルを開いてどうこうという説明がなされていて、ハル子はそれを探しに地球に来ています。まあいろいろSF的なまどろっこしい説明はありますけど、つまりは「NO」=「ノー」ってことです。未来に「ノー」を叩きつける姿勢が「NO」なんです。恐らくは。未来を受け入れている大人よりも、今ばかり見ていて未来を受け入れられない子どもの方が「NO」はでかいんです。

そして、未来を受け入れられないカナに突如として突き付けられた世界の終わり。第6話「フルフラ」では、終末を迎える直前の世界のうら寂しさやもの悲しさが描かれるんですが、これが本当に深刻で。店という店は閉まり、外は人っ子一人歩いておらず、アイロンが世界を平らにしていく。OVAにもなかったような絶望感が「オルタナ」にはあるんですよね。で、ここでかかるピロウズの曲が「昇らない太陽」というこれまた暗い曲でして、終末を迎える前の世界の絶望感に見事にマッチしていました。そして、その後に終末に抗うようにしてかかる「Fool on the planet」が最高です。「Fool~」をBGMに交わされる諦めきれないカナたちの会話が切ない。

この他にもピロウズの曲は様々使われていて、そのどれもが展開や世界観に見事にマッチしていました。冒頭にいきなり流れる「白い夏と緑の自転車 赤い髪と黒いギター」は毎日が続くわけではないという儚さを感じられますし、戦闘シーンでかかる「Freebee Honey」や「I think I can」、「LAST DINOSAUR」はテンションを大きく上げてくれます。使いどころとしてはもっとあっただろうと思わないでもない「LITTLE BUSTERS」はやっぱり鳥肌が立ちます。5話「フリステ」で戦闘後に使われた「Thank you, my twillight」とは勝ったことを感じさせない苦しさがよかったです。他にも「MY FOOT」や「天使みたいにキミは立ってた」なども要所を抑えた使われ方をしているので、ピロウズファンなら「フリクリ オルタナ」は必見の映画だと思います。主題歌の「star overhead」も子供だった頃の懐かしさを感じられていいですしね。

「フリクリ オルタナ」はOVA25分×6本という構成になっているんですけど、私がこの中で一番好きなのは第5話の「フリステ」です。それは今まで謎のベールに包まれていたペッツのキャラクターが明らかになるのが一点、「LAST DINOSAUR」「Thank you, my twillight」が使われているのが一点なんですけど、一番は今までの展開を覆すようなどんでん返しがあるからなんですよね。ペッツが本心を吐露したことで、カナが今までよりも身近に感じられるようになるといいますか。「ああカナも私たちとそんなに変わんないな」って思うんですよね。詳しくいってしまうとネタバレになるので、ここは映画館で観てみてください。「オルタナ」一番のキーエピソードでおすすめです。




・ちょっと物足りない

でも、正直に申し上げますと、賛否で言うと「フリクリ オルタナ」は個人的には否です。スピード感とか訳分からなさとかオリジナルOVAの良かったところがけっこう失われているなって。それをこれから書いていきたいと思います。

まず思うに、オリジナルの魅力って予測のつかない展開にあったと思うんですね。OVA4話「フリキリ」とか、野球から帰ってきたら、父親が襲い掛かってきて、ナオ太はテレビを殴って、次の瞬間にはアマラオに事情聴取を受けてる。こういった筋道の通ってない展開が、私たちを飽きさせることなく観させてくれたと思うんですけど、「オルタナ」にはそれが少ないんですよね。ちゃんと筋道が通っていて、次の展開がなんとなくわかってしまう。

そもそもこの「フリクリ オルタナ」を見る人がどういう人かっていうのは、今までOVA版のフリクリを見たことがある人が多いわけじゃないですか。そういった人たちってオリジナルの突飛な展開を知っているし、「オルタナ/プログレ」を見るにあたって、OVAを見返してきたっていう人も多いと思うんです(たとえば私とか)。で「オルタナ」にもそれを求めてしまう。でも、「オルタナ」のストーリー展開っていうのはちゃんと地に足がつけられていて着々と進んでいくので、突飛な展開というのはあまりないんですね。期待した突飛な展開があまりなくて、身構えていた私は肩透かしを食らってしまいました。

あとは演出ですかね。OVA1話の「フリクリ」では、キスするときにカメラが一回転したり、唐突に漫画チックになったりと意外性のある演出が取り入れられていたと思うんですけど、そういう演出が「オルタナ」にはあまりなかったのも、私が物足りなさを感じた一因でした。当時は斬新だったものが、時を経てありふれたものになってきてしまってるのか、それとももうやり尽くされていて、斬新な演出のハードルというものがOVA当時に比べて爆上がりしているのかは分かりませんが。

そもそも最初のハル子の登場からちょっと微妙ですよ。だって普通に蕎麦屋ののれんをくぐって入ってきて、しれっと席に座ってるんですよ。これがOVAだったらハル子は登場するや否やナオ太をベスパで轢いて、蘇れと人工呼吸という名のキスをしだしたり、蘇ったナオ太をベースで殴ったりしてて(OVAがベースで「オルタナ」がギターだったのは単純に年齢的なことだと思う)、それはもうものすごいインパクトです。インパクトに1万倍ぐらいの差があります。私は「オルタナ」でもハル子はカナをベスパで勢いよく轢いて、OVA既視者たちにデジャヴという名の懐かしさを与えてくれると思ってたんですけどね。外れました。でも、このように完全にOVAをなぞらなくても、もっとインパクトのある登場をハル子にはしてほしかったです。



それと「オルタナ」の特徴として、主人公がカナ、ペッツ、ヒジリ、モッさんの4人組であるということがあるんですけど、これも個人的にはどうかなって。なぜかっていうと、この4人の間でのシーンが多く、それがテンポの悪さやスピード感の欠如に繋がってると思うからなんですね。

OVAではナオ太には放課後つるむような友達が学校にはいなかったわけじゃないですか。ニナモリとかクラスメイトの男子とか話し相手はいましたけど、積極的にかかわる相手はいません。そのナオ太が代わりに誰と関わってるかっていうとサメジマ・マミ美ですよね。マミ美はタバコを吸って学校をさぼるような不良少女で、何をしでかすか分からないミステリアスなところがあって、それが作品の緊張感を保つことに貢献していたと思うんですね。私は「オルタナ」最大の欠点が”マミ美的キャラクターの不在”だと思っているんですけど、これについてはまた後で述べます。


サメジマ・マミ美


そして「オルタナ」。4人の中で最大の主人公であるカナの話し相手はペッツ、ヒジリ、モッさんの3人がいます。この3人はマミ美と比べて何をしでかすか分からないというミステリアス感がなく(あってもペッツぐらい)、この4人でのシーンは実に安心して見れるものでした。その安心感がOVAにあった緊張感を浅薄なものにしてしまっていて、話が締まらなかった。緊張感がないとみている人たちの心は作品から離れてしまい、しかも4人でのシーンが多いことで、冗長に感じられてしまう。これがOVAにあったスピード感を失わせていたように思えました。

また、マミ美1人に対し、ペッツ、ヒジリ、モッさんの3人ではそれぞれのキャラクターに対する印象も薄くなってしまいますしね。正直、カナの話し相手は不穏な雰囲気を醸し出していたペッツ1人で十分だったのではないかとさえ思います。まあ後々のことを考えると4人いた方がよかったのですが、ぶっちゃけヒジリ主体の「トナブリ」とモッさん主体の「フリコレ」は今回の6本に入っている必要性を私はあまり感じませんでした。とくに「フリコレ」は予定調和が強くて、こんなこと言うのもなんですけど、観ていてきつかったです。




・”マミ美的キャラクター”不在という問題

次に「オルタナ」で私が気になったのはハル子の立ち位置です。なんかOVAと違っているなって感じました。

まず、なんでOVAでナオ太の前にハル子が現れたかっていうと、兄を留学で一時的にでも失ってしまったからなんですよね。兄にもっと頼りたいという子どものようなナオ太の欲求の化身としてハル子は現れたんじゃないかと。つまりハル子はナオ太にとって子ども心の象徴のような存在で、それはOVA6話「フリクラ」で、アマラオがナオ太に「大人になれ」とハル子との別れを、つまり大人になることを強要しますが、ナオ太はハル子をつまり子ども心を、子どもでいることを選ぶことから現れています。そして、最後にはナオ太はハル子と、子ども心と別れ、一つ大人になって終わります。「フリクリ」は少年ナオ太の成長物語であり、筋が通っていないようでちゃんと通っているところが「フリクリ」の魅力でした。

そして、OVAにおけるマミ美の存在。高校生にもかかわらず、タバコを吸うマミ美はナオ太からしてみればミステリアスで、よく分からない存在で大人心の象徴みたいなものだったと思います。ハル子とは対照に描かれていたキャラクターがマミ美なんです。たぶん。

このマミ美的キャラクターが「オルタナ」では不在でした。同じ不穏な空気を纏ったペッツもマ耳の持つ強度には至りません。では、マミ美が示す大人心を担っていたのは誰でしょうか。それは間違いなくハルハラ・ハル子、その人です。

「オルタナ」で、カナは何かを失ったような描写はないですし、ただ日常にモヤモヤしているだけです。そのモヤモヤを晴らし、大人にするために、大人心の象徴としてハル子は現れました(まあ大人になってもモヤモヤは晴れないけど)。大人心の象徴となったハル子は独善的な行動が減り、カナたちを大人にするために動いてたと思います。OVA子どもっぽくわがままで自由奔放なハル子が好きだったのに、「オルタナ」ではそれが抑えられていてちょっと残念でした。

それに、カナたちはハル子のことをさん付けで呼んでるんですよね。ナオ太はハル子のことを呼び捨てにしていました。カナたちは高校生ですし、知らない人にさん付けをするぐらいの分別はついていたのが主な原因ですけど、ここにもハル子が大人心の象徴として描かれているなっていうのは感じました。



で、話はマミ美的キャラクターの不在に戻るんですけど、マミ美ってけっこうストーリーを動かす引力のあるキャラクターなんですよね。OVA2話「ファイスタ」では、マミ美のゲームが発端となり事件は起きていますし、OVA6話「フリクラ」では、マミ美がメカのタっくんを飼い始めたことで、話が終局に向けて動き出しました。マミ美はOVA「フリクリ」の牽引役なんです。

そして、そんな牽引役不在の「オルタナ」はどうしたか。その答えは、それぞれの話のゲストキャラクターに牽引役を任せるというものでした。「オルタナ」2話「トナブリ」ではヒジリと付き合うクズ男に、4話「ピタパト」ではバスケ部の佐々木にストーリーを動かす役を担わせていました。ただ彼らは基本、25分の一回限りのキャラクターなので(佐々木は違うけど)、マミ美に比べたらキャラが薄い薄い。当然引力も弱く、観ている私たちもあまり惹きつけられません。マミ美みたいな底知れないミステリアスさもないですしね。そう考えるとやっぱりマミ美は偉大です。

これらの理由が私が「オルタナ」最大の欠点を"マミ美的キャラクターの不在"とする理由です。なおこれらはすべて個人的見解ですのでご承知おきください。




・音楽も正直…
 

他にもハル子がギターを持って戦うシーンが少ないとか、そもそも日常とその終わりを書きたかったのかアクションシーンが少ないとか、物足りなさを感じた部分は他にもあるんですけど、ちょっとここで書くのはやめておきます。ここまで書いてきて、ちょっと懐古主義の老害感が酷すぎるなって思ったので。ただ、もう一つだけどうしても書きたいことがありまして。それが音楽の使い方です。かいつまんで言うと「オルタナ」は音楽が流れ過ぎだと思います。

またOVAとの比較になってしまうんですが、OVAってピロウズ以外は劇中にほとんど音楽が流れなかったと思うんですね。3話「マルラバ」の「トランペット吹きの休日」(運動会でおなじみのアレ)ぐらいで、あとはBGMというのはありませんでした。

ただ、「オルタナ」ではBGMが過剰なぐらいガンガン流れます。流れてない時間よりも流れてる時間の方が長いレベルで。私がフリクリを好きな理由にピロウズの音楽っていうのがあるんですけど、BGMを流しまくることで、せっかくのピロウズが霞んでしまってるように感じました。OVAではBGMがなく、それがメリハリになっていて、ピロウズが流れたときの興奮がものすごくあったんですが、「オルタナ」にはそれが少なかった。本当、もう少しピロウズを大事に扱ってください。全曲CDのラインナップを見るに「プログレ」も似たような感じみたいですけど、どうかお願いします。


「フリクリ オルタナ/プログレ song collection『FooL on CooL generation』」
ピロウズの曲ばかり14曲入ってます。





以上で感想は終了になります。「フリクリ オルタナ」は言うならば「『静』のフリクリ」で、そこが正直、物足りない部分でした。しかし、9月28日に公開される「フリクリ プログレ」はどうやら暴れ回る「『動』のフリクリ」らしいので、こちらに期待です。もっとアクションシーンが見たい。

お読みいただきありがとうございました。

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