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卒業旅行、蒼い輝きにさよならを

こんにちは。10年越しの大人気企画(?)Sora photo回顧録のお時間がやって参りました。

正確に申しますと、前回は2013年シアトル旅行の記事でしたので、このまま続きを思い出そう!と試みたのですが……申し訳ありません。10年という時間が記憶の大幅なアップデート(もとい都合の良い自己解釈へ改変)をしていることはもはや自明の理。

今回は、より記憶の鮮明な大学卒業旅行について綴っていこうと思います。前後編の構成予定です。思い出話に少々お付き合いください。

格安の落とし穴

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卒論発表も佳境を迎えた2017年2月、親友と私は成田空港発仁川空港行きの飛行機の中にいました。

最終目的地はカリフォルニア州ロサンゼルス。旅行の費用をギリギリまで抑えるプランを半年がかりで立てた私達は、いわゆる格安航空券を手に夢の街LAへ飛び立ったのでした。

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コロナ渦の今では考えられないかもしれませんが、当時は到着後の自主隔離2週間そして検疫通過の大行列など全く無い時代でした。旅行費用も大学生のお小遣いで1週間程度滞在できるほど破格、そんなうまい話があるもんかと、今なら冷静に考えることが出来ます。

何を隠そう、私達は○○○倶楽部で航空券付パッケージツアーを予約しホテルの手配もしてもらい、何事もなく無事に日本へ帰国した超幸運の持ち主だったのです。

(ご存知の通り、この某旅行は今は存在しておりません。この旅行から僅か1ヶ月後テレビやネットニュースで少々世間を驚かせ無くなりました。)

この経験から私が申し上げられることは、今後このように費用を削って旅行計画を立てるのならば、自分の身の安全は他の誰でも無い自分自身が守るしかないということ。旅行代金は貴方を危険から守るため、ある程度の制限と引き換えに恐怖や不安のない楽しい想い出の提供を担保するものだということです。

ちなみに余談ですが、たった1週間の滞在に30万円をかけた私の人生初海外滞在は熱帯林のナイトツアー中に、マナーの悪いアジア系観光客を注意したツアーガイドが目の前で殴り倒され、緊急避難する(私自身は無傷でした)貴重な体験をさせてくれたので……。自分の身は自分で守りましょう。


さてさて、当時の時間に戻ります。パスポートに帰りの航空券、来月倒産する旅行会社からもらった滞在ホテルへの地図を握りしめLAXに無事到着。楽しい旅行の始まりです。

街歩き共通?市場は楽しい

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ホテルのチェックインは日本語を話せるスタッフがいなかった為私が担当。

「これから天気が悪くなるから外出するなら傘を持って行くと良いよ〜」

と親切に教えて下さったことを覚えています。

時差ボケが残る頭を抱え最初に訪れたのは、ホテルから一番近いFarmers marketです。

そこで軽食とこれからの滞在に必要なものを揃えます。

ホテルスタッフの助言通りあいにくの曇り空ですが、この時は無事に到着できた喜びで天候不良などお構い無しに買い物を楽しみました。楽しみすぎて写真が1枚もありませんでした……。

(ここから時系列前後します)

ディナーと天文台

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あてもなく街歩きを2時間ほどした後、予約していたオプションツアーで夕食とグリフィス天文台へ。

LALA LAND公開時期だったことも理由でしょうか、閉館時間直前にも関わらず結構な人数の観光客が館内に残っており安心して見学できました。

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有名な天井を撮影した動画が残っておりましたので、忘備録に載せておきます。

この時点で既に21時をまわり、移動疲れもあったせいかホテル到着後は親友も私も溶けるように眠りにつきました。

次の日の朝

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翌日スッキリした頭で向かったのは、朝はカフェ夜はバーとして営業しているダイナーです。

無人島にひとつだけ持っていくとしたら卵(或いは雌鶏)を選ぶほどの卵好き+ハッシュポテトに目がない私にとってまるで朝食のイデアのような写真。

店内もとてもお洒落で、思わず会話が弾み長居してしまいました。

そしてこのあと私達は、念願のハリウッド満喫ツアーへ繰り出します。

その様子は後編で……大定番サンタモニカビーチも訪れましたので、そちらの様子含め次回の記事でお伝え予定です。写真を手掛かりに少しずつ記憶を辿ってみます……!


長い記事にお付き合い頂き、ありがとうございました。

よろしければ、またいらっしゃって下さい

Sora


おまけ

記事にまとめられなかったUSHの写真たち。

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