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仕切り直し


・最初に

僕、27歳のまたこは、3月31日をもって、6年頑張った歯科技工士を辞め、無職になった。
今の住まいも、とても気に入っているのだけれど、5月末に手放さなければいけない。
何故辞めたのか、それは、ほとんど好きでもなく得意でもない歯科技工士を続ける必要が無くなったからだ。

じゃあどうして歯科技工士になったのか、それを今まで続けてきたのか、どうなって必要がなくなったのか、今からまとめようと思う。

・どうして歯科技工士に?

答えは簡単で

「たまたまポストに専門学校のパンフレットが入っていたから」

ただそれだけ。
高校三年の当時、僕は全てどうでもよかった。
それなりの私立進学校(偏差値74理系)に入ったものの、周りとのレベルの差、公立受験に失敗したショックからズルズルと落ちこぼれ、学年ワースト3位になっていた。
ほぼ提出物も出さなかったので、留年か中退が迫っており、担任にどうすれば3年になれるか聞きに行き、2年間溜めた提出物全て、答えを写して提出し、先生のため息と共に乗り越えた程だ。
ちなみに卒業に関しても似たようなことが起きた。
人当たりだけはとても良かったので、友達もそれなりにいたのだけれど、受験シーズンにほとんど離れていってしまった。
「君といると成績が落ちる。」
「頑張ってる自分が馬鹿らしくなる。」
「周りのテンション下げるからもう帰れば?」
「君に点数で負けたのが悔しいから殴らせて?」
「かまってられない。向こうにいって。」
「ごめん八つ当たりw」
色々言われた。
でも至極当然のようにも思う。
だから笑うしかできなかった。
そんな日々を過ごしたものだから、高3の1月以降はすっかり腐りきっていた。
進学校ゆえか、専門学校という選択肢は無いと言われていたので進められる大学の学部を手当たり次第に受け、やる気は当然ないので受験代だけ無駄にしまくった。
とても強かった母親が、風呂場でよく泣いていた。
それでも僕は立ち直らなかった。
そんなある日、母親がどこかで医療系の技師がいいらしいよ、と情報をくれた。
その翌日、ポストにパンフレットがあり、なんの学校かもわからないまま、「歯科」というワードだけを見て速攻で飛び込んだ。
入学後しばらくしてから、何を学ぶ所か理解したくらいだ。
専門学校のクラスはとても楽しかった、良い友達が沢山できた。
でも歯科技工にはほとんど興味が無かった。
退屈で眠くて汚い。
そして3年後、専学校のツテで面接もほぼなく正式に歯科技工士てして、技工所(工場)に務めることになった。

・なぜ続けられたの?

平たく言うと

「稼ぐ必要があったから」

これはシンプルな答えだけれど、中身は少々拗れている。
技工所に務めて2年目になった頃、相変わらず諦観と惰性で仕事をしていたのだけれど、彼女ができた。
これがなかなか曲者で、心の病で寝たきりだったりしていたのだ。
その世話をすべく、気がつけば実家を飛び出して彼女の家に転がり込んでいて、守らないといけない、養わないといけない、そんな使命感に突き動かされていた。
3年目からは親戚の紹介で見つけたとてもホワイトな歯科医院に転職した。
職場環境は最高で、とても楽しかった。
歯科医院に務めてしばらくしてから、寝たきりだった彼女も少し元気を取り戻して就職し、新居を見つけて同棲を始めた。
でも心の病はとても難しいもので、波がある。
3ヶ月経ったくらいだろうか、彼女は無職になっていて、以前のようにほぼ全面的に生活を支えなければならなくなった。
ますます稼がないといけなくなった。
あの当時は生涯世話を見る、結婚する、そんなつもりでいた。
だからこそ、安定した職場に居続ける他なかった。

・辞めるまで

以前に増して彼女は病んでいき、当然そのまま互いに余裕が無くなり、ケンカが耐えなくなり、浮気されたりして別れた。
終わりは案外よくある話で、呆気ないものだった。
そうして一人暮らしになった。
情に駆られていた使命感は消え、一気に身軽になった。
同時に稼ぐ理由も分からなくなり、歯科技工士であること自体が苦痛になっていった。
そしてその苦痛から、僕は逃げたのだ。
環境、人には恵まれていたものの、技術が伸びない。
本当にホワイトなところなのに、自分一人だけ勝手に夜中まで残業してみたり、それで心配され怒られもした。
でもそれくらいしなければ、減らしてくれた仕事でさえ厳しい時があった。
新人とそこまで変わらない仕事量しかこなせない自分がとても嫌だった。
それで無理して自ら多めに仕事を取って、案の定残業し怒られたこともあった。
6年目の歯科技工士に見合わない力量、与えられた分だけでは周りが割を食うし、かと言って無理をすればそれはそれで上司や先輩が怒られる。
みんな優しいから注意すれど責めることはなく、暖かく、ゆっくりがんばっていこう!と声をかけてくれる立派な人達だった。
それが僕にとってとてもありがたく、辛かった。
今までもそうだ、親に助けられてばかりで、弟に助けられてばかりで、職場でも。
自分自身では何一つ、成し得ていない。
人にはとても恵まれる。
だから余計に、何も出来ない自分が目につく。
もともと好きでもない歯科技工はその影をより濃くしていった。
背負うものも無くなり、辛さしか見えない職業にピリオドをつけ、後先考えずに、無職になった。

・最後に

何もかも手放した今、まさしく自由になった僕はこれからどうしたらいいか、正直迷いまくっている。
子供の頃からちゃんと夢を持ったことがない僕に、何かしら見つかるだろうか。
思いの丈を書き込んだら中々に長くなってしまった。

「元カノと別れたのがキッカケで全部捨てたくなった」

こう言えばよかったのにね。
でもきっと、誰かに聞いてもらいたくて、わざわざ沢山書いたのだろう。
気がつけば朝だ。
なんだか少し晴れやかな気持ちになったのは、そのせいだろうか。
聞いてくれてありがとう。

あでゅ。

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