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否定の快

肯定の裏側に否定がある。これは二元論だ。私たちはこの二元論的な思考形式=言語体系に頼って生きている。

生/死。生きることが肯定であり、死ぬことは否定である。そういう意味で、生きてるこの今、常に肯定されている。否定は存在しない。
自然は否定しない。草木、土、風、動物。これらはあなたを否定しない。実存に否定は存在しない。

否定はどこに生じるのか?否定は「今」生じない。否定は思考にのみ現れる。

つまり、否定は人間が発明したものなのだ。人間なので至るところに否定をつくる。禁止がある。
禁止、禁止、禁止、目に見えない掟、権力、構造、至る所にある「否定」。

一方、人は「否定」を「快」に変えている。倒錯している。人間は根本的に倒錯な生き物なのだ。つまり、否定を快に感じるような機能がデフォルトで備わっているのだ。

人間は、自ら思考の枠組みに「否定」を作っておいて、自ら「快」に感じるよう倒錯までしている。自己完結している。閉じている。

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