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加藤豪氏 個展 【ルーレット】 2020.3.31~4.5   “現場”を経て                 ※⇧展示風景は«Komaki Airport 2019»

 展覧会終了から十日が経過しようとしている。加藤豪氏の渾身の制作パワー、同時代への真剣な問題意識、正統な美術に対する敬愛(セザンヌ,ジェリコー,マイク•ケリー)を、こうして具体的かつ鮮明な形で、危機真っ只中の時代に、まっすぐ問うことが出来、とても貴重な一週間を送ることが出来、生涯忘れ得ぬ体験をさせて頂いたと感じている(キュレーション寺尾忠)。澄み渡った精神性、高い緊張感がみなぎり溢れる個展会場に連日、身を置けたこと(“現場”体験)、豪氏との数々の対話、訪れる人々の多種多様な反応•見方から《29歳の未熟な自己》が徹底して解体され、かつてから今までの内面に巣くっていた不要な執着が見事に剥がし取られていく気がした。豪氏の芸術作品という「本物」を受け止めることにより、じぶんそのものの姿、有り様を根本から見つめ直すことも出来た。これは仮に時間が一年、十年、それよりもっと経過した後も私自身の精神の奥底に、必ず生きた、活動的な感触、記憶となって(その間、命を落とさなければ)刻み込まれるだろう。徹底して考え込んでしまい憂鬱の極みたる私が前方を見て、躊躇なく動こうとする決意を、この瞬間に持ち得た経験は非常に大きい。身を挺して【ルーレット】の真髄に迫っていった一週間であった。
 内容としては59名の方に来場して頂き、予め用意した豪氏関連の資料(私の文章はギリギリまでかかってしまった)も会期中継続して、お渡し出来たのが良かった。場所ならではの来場者も印象的だったけれど、特に良かったと思うのは、三十代•四十代の、おもに名古屋で活動する美術作家に、加藤豪氏という極めて優れたアーティストが今この時点で制作されている芸術作品と向き合うための場を切り開くことが叶ったという点である。この展覧会を眼に焼き付けて頂くことにより、それぞれの制作に対する思いを深めたり、美術の正統を見ていく重要性(私も今後努力したい点)に新たに気づいた方も居られるはずである。主に2010年代の数多くの時間とエネルギーとを私は名古屋の同時代アート巡り、マイナーな発信に費やして来て結果を出せず行き詰まっていった訳だが、その過程(無駄な動きが殆ど)で出会い知り合った美術作家、美術関係者がFacebook案内によって、この外出し辛い時期に来られたこと(今回の“無観客展”という条件下にあって)は端的に成功であった。なかでも作家の方々の個性溢れた豪氏芸術への接近の仕方(独自の絵画理論を展開してくる方も)、憧れ、学び取り方は、やはり展覧会は愉しいものだなと感じる部分が多く、長時間の受付において、私には鮮烈な風穴となり時に有り難さをも感じた。芸文アートプラザに置いた小型DMを手に取って訪れた(あいちトリエンナーレ2019に失望を感じられた)今まで2回お会いした地元アートマニアの方が最終日に来られた点も印象に残った。また実際来れなくても誠実に、この企画に関心をもってくださった方も数名居た。こうした伏線を張りつつ自然な流れで、しかも明確かつタイムリーなコンセプトを以て展覧会開催が実現したことは誠に喜ばしい。自分なりに底知れない積年の鬱屈を抱え粗削りに悩んできた対話の結果が、積極的な面で活かされた唯一の分野、それが今回の展覧会案内だった(対して照明や動画撮影では私は散々で全く先生の役に立てなかった)と感じる。
 けれども最も嬉しいのは、そうした何も出来ないような私でも、この展覧会を通して豪氏自身が得られたという「手ごたえ」(Facebook投稿から)に、微力ながらも間近で関わらせて頂いたという事実を、この機会にもつことが出来たという点である!長丁場になりそうな危機の時代において、絶えず【ルーレット】を“作動”し続けてくださる豪先生の強靱な思考、精神、制作展開に今後も注視していきたい。

«加藤豪氏 “Initial”  油彩画 S25号 2019年»

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