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【映画一日これ一本】第5回 ほぼアニメな長澤まさみ

人生は短いのに年1000本以上公開され続ける映画。毎日新しく1本見ても生きてるうちに見終わらないのでは?と気付いたので『同じ映画は二度と見ない』というルールのもとあらゆる手段で実行していくことに。この連載では映画を見て考えてみたこととその日あたりに思っていたことについて気ままに書いていきます。

こちらはあるいるnoteの共同マガジン「エンターテイメント研究会」にて連載しています。連載単体のマガジンはこちら

アンダーグラウンド

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「やられたらやり返す」と普通に使われているが、個人的にちょっと怖い考え方だなと思っている。この言葉には「やられたらからやり返す権利がある」「何をやっても文句を言われない権利を得た」などが含まれている気がして、心の奥底で「本当は〇〇したい」という気持ちを持っていて、隙さえあれば実行したいと願っている事実(破壊衝動)に若干の恐怖を感じてしまうからだ。

映画では仲間を守るために敵を殺すようなことが普通にある。正当防衛の観点から見ると当たり前のように思えるため、見ているこちらも特別敵に感情移入する場合を除きほとんどはスルーできてしまう。(そう言えばオースティン・パワーズはその点を具体的にパロディしていたのが印象的だった)

それ以外の選択肢がない場合だけではなく、先に攻撃させ意図的にそうした状況(正当防衛せざるをえない)を作り出して実行することも側から見れば同じことに見えてしまうのもまた恐怖である。事実からは解らないことがたくさんあるし、簡単に誤解してしまう。

家族に優しい父親というのは、結局のところ家族以外には優しくないのでもはや別に優しい人ではないと思っている。家族以外の人の愚痴を言い続けたり飲食店で怒鳴り散らかしたり、それでいて家では大人しく文句も言わない人が信用できるだろうか?本心を隠しながら生きることが優しさだと思っているなら本当に恐怖である。

とはいえ国がなくなってしまうような本当に危機的な状況において、そんなことを言っていられるだろうか?殺すなら殺される方を選ぶのかどうか、平和だからこその今の考え方なのかどうか。でもせっかく平和なのでただ周りがやっているからという理由で自分が納得していないものには手を出さないようにしていきたいなと思う。

こんなことを考えたり考えなかったり、深刻でコメディーな一本。


キングダム

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漫画やアニメが面白くわかりやすいのは、キャラクターが明確に存在しているからだと思う。デザインによってなんとなく個性がわかりつつ、ストーリーによってより深く性格がわかってくるからである。「キャラクター化されたもの」として認識される上に、実在はしていないので紹介されていないことは無理なく理想を当てはめることができる。二次元などのキャラクターに恋をするというのは不毛なようで実は合理的なのかもしれない。

でもよく考えると、対人間の場合でも相手を「キャラクター化」することで理解したり好きになっているのかもしれない。見た目と性格、言動と態度で「こんなタイプの人」と無意識的にカテゴライズし、仲良くしたり距離を取ったりしている。「好きなタイプの人」などの話はその最たるもののような気がする。生身で現実世界に存在していて会うことができるのかくらいの違いしかなく、本質的にはどちらもキャラクターと言える。

アイドルの握手会はそのキャラクターに実際に会えるイベントに思えてきた。反対に直接会うことはない女優や俳優はほぼ二次元と同じだとも思える。SNS以前はプライベートな情報開示もほぼなく、画面越しにしか存在を確認できないという点ではアニメや漫画のキャラクターと同等である。近年二次元の方があらゆる手段を使って三次元に現れているような流れがあるのもなんだか納得できてしまう。

そんな中、アニメソングが分かりやすく多くの人の心を掴むのは基本的にキャラクターソングであるからだと思う。誰が何のために、どういう気持ちを歌っているのか。アニメを見ていればストーリーがわかってしまうので、簡単に感情移入ができてしまう。そういった音楽の楽しみ方が事前に準備されている状態で聴く音楽はすごく即効性がある。考えなくても感じなくてもまっすぐ理解できてしまうからだ。

少し前ブラタモリを見ながら、そもそもほとんどの音楽がキャラクターソングなのでは?と思うことがあった。演歌には舞台設定があり、そこで繰り広げる主人公の思いや葛藤が歌になっているのに対し、アニメも実在の都市を舞台に繰り広げる日常係があり、仕組みは全く同じだという発見があった。それぞれ聖地も存在する点など、人間の娯楽はもともと変わっていないのだと感じる。

漫画やアニメを見ていると、何か突出した特技があったり他人と違う見た目や個性がないといけないような気がしてくる。幼少期より大体の国民が見て育つので、そういう考え方が染み込んでいるのかもしれない。

でも実際はキャラクター化=記号化するために大袈裟な設定をつけているだけであって、二次元より三次元はもっと複雑に存在している。はっきりとしたものではなく、曖昧なものとして、個性とは目に見えるものだけでもないように思う。

それはともかく、長澤まさみのキャスティングがすばらしく年齢を重ねたからできる役という凄みもありつつ、長澤まさみってやっぱりアニメなんだなとも思えた一本。

ザ・プレデター

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幼少期から動物に対して正直興味を持ったことがない。犬派か猫派かと言われれば猫派と答えるが、飼ってみたいと思うこともない。それま現在までずっと続いている。

ペットを飼うということは、身近に人間以外の生物と触れ合うことによる様々な効果が想定できるし想像もできるので特に否定したことはない。共に暮らす=擬人化されていることも考えられるし、動物に対するリスペクトも感じる。実際にそういう人(ペットを大事に育てている人)は温かみがあったり人間味があったりして、信用できそうな人が多いと思う。

単純に共働きだったから&死ぬと悲しいからペットは飼わないという家の方針だったのと親戚にもペットを飼っている人がいなかったので触れてこないのが当たり前のように育ったからだと思う。ないものはなくて成立しているので、別段恨むこともない。

そんなこととは関係なく昔から違和感を感じるのは動物園である。動物がオリの中で暮らしている。人間も動物なのに、それを観察しているというのはなんとなく恐ろしかった。テレビで動物を扱う番組も生態を知るという意味では興味深いが、生き物を観察しているのもなんだか恐ろしい。人間も誰かに観察されているのかもしれない、そう考えるともっと恐ろしい。

あと捨てるという行為にも疑問がある。上記のように対等に接している人なら単純にありえないことと思うので、もしかしたら自分の方が上、上ならば何しても良いと思っているのかもしれない。人間はたまたまこうして暮らせていることを思い知った方が良いと思う(雑なまとめで申し訳ないです)

プレデターが人間を救おうとするなんてもはや動物愛護的なものでしかないのでは?と思えてこんなコラムに。それでもプレデターに限って、そんなことはないと思うんだけどなあという一本。

バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生

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「その程度の本音なら言える」とあちこちオードリーで言っていたように、本心というのは人によってまちまちだと思う。そんな中、すべてを悪い方向に考える人もいるが、そんな人ばかりでもない。

本当の所とか、本音はとか、本心はどうなの?と人の黒い部分を引き摺り出したい趣味の人は多い。全ては「騙されたくない症候群」(そんなものはない)のせいだが、こんなに薄汚れた自分の本心を周りも同じはずだと正当化しようとする行動なのかもしれない。

どんなに素直に育っても過酷な人生なので、スターウォーズのアナキン・スカイウォーカーやカイロ・レンのように闇に落ちてしまうタイプも普通にいる。そういう人は一旦絶望するので、世の中全員同じように考えてるに違いないと思っているのかもしれない。

しかしながら世の中何でもあるということは、そんなことを微塵も思わないし闇に落ちないタイプも存在する。ダークサイドに落ちないルーク・スカイウォーカーや犯罪係数がちっとも上がらないPSYCHO-PASSの主人公・常守朱のように、何をされても心が濁らない人も確かにいる。

もちろん「そう見えている」だけであり、本心は絶対に解らない。もはや性善説・性悪説になってくるが、正直そんなことを考えていないのに「ホントは〇〇なんでしょ?」と言われるとムカついてしまうのも事実。昔ならそれも誤解の一つに入るのでキッパリ訂正したが、大人になると面倒臭くてしなくなってきているのかもしれない。どう思われても良いという人に対しては関心がなくなってきたのかもしれない。

スーパーマンは心までスーパーである。そうでなければあんなパワーを持って正しい行い(人間にとって)をしようとは思えない。いろんな愛を受けてきたからこそそこに至ったのだ、愛は重要だというのが全ての作品を通して言えることなのかもしれない。

そう考えると、現代のスーパーマンはやっぱり佐藤栞里な気がしてならない一本。

いまのことコラム

最近NMB48にハマりつつある。きっかけは、前回の「音が出たら負け」に出演していた吉田朱里、渋谷凪咲、梅山恋和を見たことに始まるが、その日からなんとなく動向を追っていた。

NMBといえば山本彩ぐらいの知識がなかったが、乃木坂と同じく多数の獅子座メンバーが在籍していることがわかりさらに興味が湧いてきた。新作のダブルセンターも獅子座の2人であるということも興味深い。

グループのバランス的にも、一期生である吉田朱里がYouTubeで成功を納めその力を利用して外に広げたり、在籍中でも自分のブランドを立ち上げたりといわゆるアイドル的な成功とは別の角度から前例を覆し、尚且つストイックにやり続けることによって背中で語っていて、それを見ている後輩たちの士気を自然と上げていっているように思う。獅子座的スーパーマイペースな行動が全体を動かしていて、正のスパイラルに入っていると感じる。

尊敬という概念は結構貴重であるし、獅子座は尊敬している人以外の人間と過ごす時間を無駄に感じてしまう傾向があるので、尊敬できる人物が同じグループにいるという状況は精神的にも良い状態だと考える。

乃木坂で例えるとトップランナー白石→吉田、若手コンビ飛鳥・山下→山本彩加・梅山のように置き換えることができる他、乙女座では松村→渋谷として捉えてみると自分の中ではわかりやすい。こうした置き換えはよくやってみている。

渋谷凪咲は「トリニクって何の肉!?」でおなじみだが、「机上の空論城」も含め存在感が増しているように思う。本当に頭の回転がすごい。

さらに元々山本彩のワントップ体制だったものがチーム体制に移行を進めある程度完成形に近づいている段階になっているというのも興味深い。ワントップからの移行と言う点では欅坂46のこれからについて予想する意味でも比較することができるし、中心的存在(吉田朱里)の卒業がどのような影響を生み出すのかも乃木坂の白石麻衣卒業と重ねて考えてみることができるのでとても面白いモデルケースだと思う。

とりあえずなんでも置き換えて考えると仕組みが見えてくるので引き続き動向を追っていきたいと思う…(つづく)

<本日のおすすめ>
「そんなコト考えた事なかったクイズ!トリニクって何の肉!?」
テレビ朝日系|火曜 21:00 - 21:54

「第1話シーズン2」
朝日放送|Tver、大阪チャンネル、GYAO!で見逃し配信

「かまいたちの机上の空論城」
関西テレビ|Tverで見逃し配信

「NMB48のTEPPENラジオ」
MBSラジオ|金曜 25:30 - 26:30

NMB48「だってだってだって」

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