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目的を見失う怖さ

最初の都会に行って住むワクワクは?

都会にでてビッグになることを夢見て、仕事をしたり、やりたいことをやるために、夢をもって親元を離れるイベントがある。高校卒業、大学入学、就職になる。

もうワクワクが止まらない。そのことを思い出す。
僕はダンスで世界一になるんだ。有名になるんだと夢を見て、沖縄の離島から親元をさっと離れることが出来た。目的と夢があるからだ。

それがないと、きっと地元を離れるのは怖いだろう。。。
なんとなく地元にいたくないから。
地元を離れることで凄いと言われたいから。
都会はキラキラしていてお金がいっっぱい稼げるから。

理由はそれぞれあるが、安易な理由だと、都会での暮らしは、長くは続かないはずだ。

寂しい気持ちになる理由は?

僕は、沖縄から都会で踊りたい、もっと上手くなりたい理由があった。だから、当時付き合っていた彼女と遠距離していても、頑張ることが出来た。

彼女は、保育士になりたいと言って沖縄本島の専門学校にいっていた。でも、そんな強い気持ちはなかったと今考えるとそう思う。

寂しさのあまり、他の男と浮気をしていた。体関係をもち作り子どももできていた。裏切られた気持ちで悲しくなったし、浮気した男に「ぱんち」をくらわしてやりたい。とおもった。

僕も悪いところはたくさんある。連絡は毎日取っていたけど、冷たい態度でいたのかもしれない。会いに行く予定も立てていない。先の見えない関係が不安をあおったのだろう。

百歩譲って、浮気はまだいい。

でも、やりたいことがあったはずなのに、その夢をあきらめて、専門学校を退学して子どもを産むことに悲しく思う。

お互いが依存関係にあったと思うが、違いは強い目的があるか、ないかの違いだけに過ぎない。

目的が無かったら僕も彼女と同じことをしていたのだろう。

何も考えないで、寂しさを埋めた結果が未来を大きく変えてしまう。

楽しいを求めて自分に嘘をつく

楽しいことはするのは、すごくいいことだと思う。でも、その行動の何が楽しいかを知っとく必要がある。

僕は、ダンスの技術を高めて、知識やできることを増やしていくことが楽しかった。一人で黙々と練習をしていた。周りが変人扱いするほどだ。

でも、23歳になって大会やバトルを出ても、結果がなかなか出なくなった。
こだわり方もあるが、個性が急に強くなったのだろう。

ジャンル関係なく、やりたいように踊るようになった。

結果があまりにもでないから、ふてくされるようになった。
お互いを高めあうダンサーとではなく、馬鹿をできるダンサーとつるむようになった。

お酒はもともと好きだったが、結果の出ない不満を吐き出すように、記憶がなくなるまで飲むようになった。
次の日は、仕事なのに朝まで飲んで電車で少し寝て、そのまま出勤していた。

今考えると、かなり会社に迷惑かけた。その時の上司は、「できるのは、今だけだからな」若いという理由で、許してくれた。かなり広い心に甘えていた。思い返すだけで、恥ずかしい気持ちになる。それだけ学べていることなんだろうけど、考える力があれば、その時間をもっと他のことにつかえていただろう。

僕自身は、時間とお金を無駄にしてきたなと反省するべき部分だろう。

目的を忘れて、楽しいをはき違えて、付き合う友達を間違えれば、時間もお金も変なことに使い、あんまり記憶に残らない。楽しいという理由が、嫌なことから忘れることになったのが最悪の事だった。

当時の彼女のことを、目的がないから寂しさに負けて、夢をあきらめた。と書いたが、人のこと言えないことがおきた。彼女から学んでいない証拠だ。

ヤバい誘いを断れない

変な友達と付き合うようになって、目的を見失い、毎日馬鹿なことをするようになった。目的を失っていると、ヤバい誘いに気がつかずに、誘いを断ることが出来ないようになる。

ねずみ講や詐欺にひっかかるのだ。
ねずみ講の会員になり、投資詐欺に騙され、宗教に勧誘され入会する。
ヤバい誘い3つに、心を見透かされて、引っ掛かた。

目的がないと、軸もなくなり、寂しくなり仲間を求めて、お金があればいいことが起きると思い、願えば夢が叶う。条件がそろって、餌をぶら下げれて、見事に釣られた。

僕は、宗教を馬鹿にはしていない。ちゃんと考えて入って信仰するのは素晴らしいことだと思う。

だけど、願えば夢を叶う。という何も行動せずに、思っていればいいよ。という誘いのった僕が馬鹿なだけだ。考える力がないだけだ。

これが、悪いほうの引き寄せの法則の事例だろう。

相談。することで見えること

僕は、相談する相手がいなかった。弱い部分を相談することは、カッコ悪いし、やったらダメなことだと思っていた。

困っていた時に、誰かに相談していたら、お酒に逃げないで、ヤバい誘い3つにも引っかかっていないだろう。

変なプライドもなくなり、もっと違う楽しい人生を歩んでいたのだろうと、想像してしまう。

だから、相談をぜひして欲しい。一人だけではなく。偏った意見にならないように複数の人にして欲しい。

それが恥ずかしいなら、本を検索して、本を読んでみたらいい。
ネット検索して、ブログを読み漁るのもいい。コメントして意見を求めるのもいい。質問サイトのヤフー知恵袋やQuoraに相談してみるのもいい。

自分で考えることが難しいなら、外部から求めると、多くの考え方が集まり、選択肢が増えるので活用してほしい。最終的に決めるのは自分自身になる。

相談することを恥じないで、ぜひやってほしい。と過去の僕に向けてメッセージを送ります。

内省と自己分析の必要性

今さらだけど、当たり前の事になる。驚くほどやってきていない。最近まで長所も短所もわからない状態で、好き嫌いもあまりわからない状態だった。

でも、何歳でも遅くはないと思った。
変わりたいという気持ちがあれば変わることが出来る。

有名な教育者のペスタロッチ先生の言葉で、貧困から抜け出したいという気持ちがなければ、手をさし伸ばしても、その人は変わることが出来ない。

その通りだなと思った。
ダンスの後輩に、相談受けてアドバイスしても、相手が変わる気がなく、ラクして上手くなりたかったんだな。思った。その後輩は、上手くならずにお酒ばかり飲んでいる。過去の僕と同じ道をたどっている。

自己分析は、同じ失敗を繰り返さないために必要な材料になる。
そして、内省して少しずつ1%の変化を積み重ねて、行動する。

10日続けると、10日後には10パーセントも変わっていることになる。
10%も変わるともう別人になる。

実際には1%の変化は10日かかるかもしれないが、1年かけても1%変わらないよりは、確実に良くなる。

初めての自立

はーーーー。ここまできて、初めての自立になるだろう。
人に甘えることに普通になっていた私には長い道に乗りになる。他の人とのスタート地点が違うのだ。ずーっと後ろからのスタートだった。

気がついて、このことを書いてやっと1%前に進んだかなってな感じだ。

マイナスからのスタートだけど、主体的に動いている実感がある。苦しいけど、やっと自分の人生がスタートした。前に進んだ。

自分で決めて行動するのは、やっと事の無い人にとって本当に怖いこと。僕にはわかっている。心配しないで。失敗してもいいんだと、少しは思えるようになったよ。でも、まだ失敗には敏感に反応をして怖がることはある。

自分の足で立って、周りを見渡すと、自分であそこに行こうって決めるのはまだ怖いかもしれない。深く呼吸をしてもう一度周りを見渡してみて。

すると、コンクリートの隙間から花が咲いているし、蝶が自由に飛んでいるのが見えるはず。

それに気がつくことが出来れば、そこに行きたいと思うはず。公園にいってもっと見たい、と思えれば、1%進んだことになる。そして、行動して、積み重ねれば、あっという間に10%も進んだことになるよ。怖がることないよ。人生楽しんで。


過去の僕に向けてのメッセージのつもりで書きました。こんな恥ずかしい文章を最後まで読んでくれてありがとうございます。
高校卒業してこんなことあったなという、話があったらコメントください。
そして、フォローもよろしくお願いします。
何かの役に立てたら幸いです。

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