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物語は一枚の絵から

ところで私は美術館という場所が大好きです。

両親と共に、小さい頃から博物館や科学館によく訪れていて、美術館もそのひとつでした。
でも、難しいし眠いなあ…とありがちな感想を抱きながら回っていたものです。

そんな私の“美術館狂い”が始まったのは、中学生の時に行った、東京都美術館への校外学習がきっかけです。
その時そこに展示されていたのは、オランダ黄金期(1600年代)と呼ばれる時代の数々の絵でした。

その頃のオランダの画家というと、レンブラントやフェルメールが特に有名かと思います。
私がその時初めて見たのは、かの有名なフェルメールの『真珠の耳飾りの少女』でした。

(出典:Wikipedia)

この絵を見た時、あまりの美しさと一瞬のドラマティックさ、そして、少女の目の輝きに心を奪われました。
この絵を見るまでは、私にとって見る絵の世界は、単なる紙の上でのことに過ぎなかったのに…!

しかもその時展示されていたその絵は、本物ではなく、複製だったにも関わらず。
皆と一緒に来た校外学習であったことも忘れて、その場に立ち尽くしてしまいました。

昔の人で、更には日本では江戸時代だった頃に、こんなにも人間を表情豊かに、今まさに生きているかのように表現出来る人がいた。
その事実に衝撃を受けました。

他のフェルメールの絵も見てみると、その当時の人々の様子や風景が生き生きと、優しく描かれており、良い意味で美術というものが身近になっていきました。
私にはキリスト教や神話の画題は分からなかったけれど、その当時の民衆の暮らしなら想像出来る。

昔の人も同じように、室内に絵を飾り、誰かを思い手紙を書き、時には酒場で飲んだくれたり、変わらず親は子ども達を見守ったりしていた…

それだけでも私にとって、絵を見る意味というものは充分でした。

それからというもの、フェルメールから始まった私の美術の世界はあっという間に広がり、今では欠かせないものになっています。

芸術の世界や、その作品を展示する美術館という場所は確かに奥深く、幾ら好きであっても難しく思う時はあります。
それでも、ほんの少しの自分との共通点や、美しいと思う部分を見つけて、ただ素直に心を開いてみてもいいかもしれません。

そうすると、絵それ自体心を開いてくれる。
風景をもっと、表情をもっと見せてくれる。
芸術が、美しく楽しいものになってくる。

今日も美術館で、誰かが素晴らしい1枚と出逢っていますように。
1枚の絵から美術館を愛してしまった私はずっと、そう思っています。

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