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『千両役者浮世嘆』 第四幕

第四幕

 勉強漬けの小六の頃、ひどい風邪を引いたことがあり、そのときの咳のせいで鼠径ヘルニアという病気が悪化した。腸の一部が鼠径部にせり出してきていて、それが咳をするたびに痛かった。
 大学病院に連れて行かれた。冷たい目をした若い医師の診察があり、その場で処置を受けることになった。
 白いベッドに横になる。医師がもうひとり来て俺の服を脱がせ、身体を押さえつけた。若い医師が俺の患部の腸を体内へ押し戻そうとして、その激痛に俺は絶叫していた。とはいえ、処置と痛みとどれほど叫んだかについて、記憶がすっぽり抜け落ちている。性的虐待じゃないのかとのちに思ったが、むしろ去勢に近いものだともいえる。
 結局処置ではどうにもならず、手術を受けることになった。全身麻酔を打たれ、下腹部にメスを入れられた。病院というのも当時はまだ空きベッドに余裕があったのだろう、ゆったりと二週間ほど入院していた。
 俺は病院の廊下を走り回り、ジャンプして天井にさわろうとしてみたり、病室にいればおとなしく本や漫画を読んだりしていた。差し入れられたギャグ漫画のせいで切った腹が痛くなってしまって困った。
 夏目漱石の猫のジュニア版を読んだ。総ルビとはいえ全文が書かれていて、読み通したもののちっともおもしろくなかった。なかなか子供に漱石はわからないものだ、ということものちに知る。
 退院後、学校へ行くとみんなに体調を訊かれた。ぜんぜん元気だよ、という反応をしたが、俺は少し壊れたようだった。
 端的に、暴力を振るうようになった。友達を蹴って笑っていた。それが俺のジョークやユーモアだった。だが、あるときブチ切れた友達に思いっきり蹴り返され、それ以来あまり無闇に蹴ることはなくなった。

 受験が近づいてきていた。三校を受けることになった。第一志望と第二志望、そして滑り止め。塾で講師のサポートによる追い込みをして、家でも過去問や問題集を解いた。人生でいちばん勉強をした時期だったと思う。なぜがんばれたかはわからない。勉強をしてはいても何も考えていなかったのだろう。実際、将来どうしたいかなどとは思い浮かぶことなどなかった。卒業文集に書かれた将来の夢は薬剤師だった。給料がよくて医者ほど勉強しなくて済む、というような理由から書いたはずだ。

 受験する日、といっても第二志望の学校のことしか覚えてないのだが、ところどころアイスバーンになった坂道を歩いて校舎へ向かった。沿道に各受験生たちの親やら講師やらが応援に集まっていた。彼らの励ます声、頷く子供たち。なんだこれは、と思った。ここはそんなに必死で挑む中学なのだろうか。
 実際、偏差値などたかがしれたような学校だ――俺の後輩たちががんばったようで、いまはなかなか優秀な学校になったらしいのだが、当時は本当にたいしたことがなかった――、何を応援されることがあるか。
 ともあれ試験を受けて、その第二志望と滑り止めとに受かったことを知った。お祝いに母親と一緒に寿司を食べた。入学届は第二志望へ出した。
 冬が終わる頃、小学校の卒業式を済ませ、春休みがあり、今度は入学式だ。
 それからの三年間は、罪と恥、嘘、愚かさ、未熟さ、ひとりの人間が抱えられる限りの忌むべき心と行動とがあった。
 そういうことを誰にいうわけでもない。だが、いいたかったのかもしれない。本当のことなどなかなか話せないものだ、といまなら俺は知っている。吐きすぎた嘘にまみれた、わずかながらにある俺の過去を振り返ってみて、何か懺悔のようなことをしたいのだと思う。
(ゴーストライターは悩む。北山明日朗は、その人物の話とは、僕にとってなんなのだろうか。そろそろ僕も彼の物語に登場する時期である。彼の目に僕がどう見えていたか、僕は彼をどう見ていただろうか)
 明日朗という名を受けながら、明日のことなどしっかりと考えることがなかった。未来を捨てることが放縦に走るための第一の条件だ。
 中学校ですぐに友達ができた。よろしく明日朗君、というそいつらに俺はいった。
「アズロって呼んでよ」
 母親が持つ、あの青と緑の宝石、アズロマラカイトに憧れていたのだ。

(続)

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