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『千両役者浮世嘆』 第八幕

第八幕

 ここが男子校だというせいもあるだろう、裏本の需要はかなりあった。前々からイズチに借りに来ていたやつらを見ればわかる。日々の勉強の他には強い息抜きが必要だ。英気を養うことなしに、ここでのきつい勉強などできるものではない。
 一冊から始めた俺のレンタル業は徐々に拡大していった。とったカネで新しい裏本を仕入れ、誰に何日貸しているかのリストをつくり、貸して、取り上げ、取り立て、稼いだ。
 必ずしも裏本でなくともいい、ということにも気づいた。普通の、コンビニで売ってるようなエロ本でも求められている。だが生徒たちの多くは自分では買えない。単純に恥ずかしかったり、家に置いておけない場合などだ。
 俺も以前は恥ずかしかったが、イズチとの歌舞伎町での買いもの以降、何かが吹っ切れたらしく、堂々とコンビニや本屋でエロ本を買った。年齢を問われることはなかった。売るほうとしても、万引きされるよりは、未成年とはいえ買ってくれたほうがありがたいのかもしれなかった。
 そうして商売の品々は増えていった。俺は自分の部屋の隅に段ボールを置き、そこにまとめてエロ本や裏本を詰め込んでいる。注文があるときにそこから取り出し、鞄に入れて登校する。そして休み時間が取引の時間だ。これが密やかに交わされるあたり、雰囲気に酔いそうな楽しさがあった。
 だがイズチはやはり否定的だった。裏本という危ないネタのこともそうなのだが、こういうことでカネをとるのが嫌なようだった。俺から見ればそれは商売っ気がない。こんなに簡単な稼ぎ方などないと思うのだが。
 月の稼ぎが一万を超えた頃、俺はイズチにAVを借りた。当時は通信インフラもデータを入れるデジタルメディアもなく、このときのAVはビデオテープだった。
 毒々しい黒のテープの背にシールが貼ってあり、そこにタイトルが書かれてあった。映像はまだ見たことないだろ、とイズチは自慢げにいうのだった。
 家に誰もいない時間に再生したそれは、かなりのインパクトがあった。動くというのもすごいのだが、俺が圧倒されたのはむしろ音声だ。女の喘ぎ声というのを初めて聞いた。
 そういうものを見慣れたあと、今度は裏ビデオを借りた。なぜポルノが18禁なのか、そして通常はモザイクが施されているのかがなんとなくわかった。単純に、刺激が強すぎる。
 テープをイズチに返すとき、そんなような素朴な感想をいった。
「これが男と女のやるこっちゃあ」イズチはいった。
「なんだそれ」
「野坂昭如の『エロ事師たち』。読んどきなよ、アズロの先達だ」
 ふーん、といって流しておいた。しかしまあ、と話題を変える。
「テープも儲かりそうだな」
「またアズロは商売のことばっかり。なんで?」
「わからないけど、カネが欲しい」
「家が貧乏とか」
「そんなことはない。中流家庭だ」
「どこかに飢えがあるよね」
 そんな指摘をされる会話の最中でも、俺を探してエロ本を借りにくるやつがいて、忙しく対応しなければならなかった。
 飢えがある、というイズチの指摘はあとあとまで覚えていた。俺は何に飢えているのか、とよく自問した。そうしてみてもわかりはしなかったのだが。
 やがてテープをダビングするやり方を知った。イズチから借りたテープと空のテープをデッキに差し込み、そうしてリモコンを操作して、しばらく待てばダビング完了だ。いくつかのテープを作り、一応イズチに断って――いい顔はされなかったが――商売の品にそれを加えた。
 売り上げは伸びた。借りに来るやつらはこのクラスの連中の他、別のクラスから来るやつまでにも広がった。俺は商品の管理に忙殺された。
 普通のAV、いわゆる表のビデオというのも連中には魅力あるものだったようだが、俺はもっとすごいのを教えてやりたかった。イズチに見せてもらったような裏ビデオだ。モザイクを取り払った劇薬に、こいつらはどれほど酔いしれ、俺はどれほど儲かるだろうか。
 イズチによる禁止を忘れたわけではない。恐らくこれは本当に危ないことだ。それでもやったのは、いわれたとおり、何かの飢えがあるせいかもしれない。
 ひとり歌舞伎町へ踏み入って、あの路地の店へ行き、儲けたカネで裏ビデオを五本ほど買った。こいつをダビングして、さて、貸すか、それともいっそ売るか。

(続)

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