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『禁止法』 手なぐさみ掌編

 禁止と侵犯はセットだ。禁じられているから破るやつがいる。もし禁じられていないのならば、何か、なんでもいいが、それを行ったとしても破るとはいわない。とはいえ――。
 とはいえ昨今、なにやら不自由で仕方ない。法律というものがどこまで理にかなっているものなのかはわからないが、こう禁止、禁止とやられては、いったい人間の自由とはなんなのか。
 禁止法が施行されたのはちょうど一年前のいまごろだと覚えている。記念すべき第一弾の禁止は喫煙だった。禁煙法とも呼ばれたこの法律で全国のニコチン中毒者が苦しんだが、やがて彼らの呼吸は楽になり、お肌のハリも出て、だるかった身体が爽快になった。健康を取り戻したのだ、とみんな喜んだものだ。もちろんやめられなかった者もいた。そいつらは阿片窟みたいなところで、非合法の水煙草を吸っていた。
 喫煙を禁じたあと、翌月に発表された第二弾はいささか問題だった。飲酒の禁止だ。困る者と困らない者がいたが、主に軽度から重度までのアル中たちが困った。こと重度のアル中に関しては、結束し、暴動を起こして機動隊のお世話になるという事態が各地で見られた。酒をやめられた連中は健康になった。やめられなかった連中はアンダーグラウンドで蒸留酒を飲んでいた。
 禁止法はこうしてスタートの二ヶ月を飾った。成功を叫ぶ為政者たちと、まあなんだか健康になったし、みたいな感じでふんわりなじんだ国民たち。
 そして、ご存じのように権力は腐敗する。
 三ヶ月目の禁止法は乗用車の運転を的にした。交通事故率が減った。電車の利用人数は増えた。
 四ヶ月目、スイーツ全般が禁止された。みんな痩せ始めた。血糖値が安定した。
 五ヶ月目。インターネットが禁止された。人々はテレビを見るようになった。
 六ヶ月目。テレビが禁止された。人々は本を読むようになった。
 七ヶ月目。活字が禁止された。人々は町へ出て空を眺めていた。
 八ヶ月目。外出が禁止された。人々は――ご存じの通りになった。
 九ヶ月目に禁止するものは何がいいかと立法府で話し合われていた頃、反政府レジスタンスが動いた。憚りながら私もそのひとりだ。そして、その機密性から作戦の詳細は書けないが、とにかく敵は禁止法というものなのだから、それの書き換えを革命という形で成し遂げようという意図のもと、わりとあっさりと国家を転覆させた。
 禁止法から解放したのち、人々は煙草を吸い、酒を飲み、車を乗り回し、ケーキやなんかをたっぷり食べ、インターネットをつなぎ直し、テレビを見て笑い、活字によって情報を取り、町に出て青空の下で遊び、といった以前の暮らしに戻った。
 禁止法の教訓とはなんだったのだろうか。元レジスタンスの連中と、たまにそんなことを話しもする。自由は危険で、不自由は安全だ、ということじゃないか、といったやつがいた。行き過ぎると問題なだけでな、という。
 そう聞いても、私には何か見落としがあるようにも思える。もっと本質へ迫れるはずの、なんらかのきっかけになりそうだ。
 自由の国になったここで、誰に読ませるでもないこんな怪文書を書くこともまた自由だ。
 だが、これ以上書くこともない。

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