『陰宅の祖父』

 ジャケットを羽織り、ハットをかぶっていて、手にはステッキを持って歩く。その姿は忘れがたい。身内といて祖父の話題が出ると、おしゃれな人だったよね、と誰かが必ずいう。
 実際、祖父はあの年代の男としてはしゃれていた。小粋、洋風、モダン、ダンディ、都会派、どういう形容詞が当てはまるのかはわからないが、当時子供だった俺の目から見ても、何かそこらの老人とは違う上品さを感じた。ひとことでいえば、ビシッとしていた。祖父のそういうところが好きだった。
 仕事は何をしていたか。あれは版下筆耕業だ、と、のちに親戚の誰かに教わった。ハンシタヒッコウギョウと聞いてもよくわからないが、内容としては、石碑やなんかに彫る文字の下書きといったところだ。どこかのパーキングエリアに作品が残っているらしい。ただ、そこに祖父の名前は刻まれていない。
 文字のプロだった祖父は、俺が生まれたときに筆で名前を書いてくれた。それを写真で見ると、見やすくて整った、習字のお手本のような字だった。
 亡くなって二十年以上も経った。最近、俺は茶色のジャケット(安物だ)を買った。それを眺めていると祖父を思い出した。あの頃祖父が愛用していたジャケットもこんな色をしていたような気がするのだ。
 眼鏡の奥の照れくさそうにしている目で、俺を見ていてくれたのは十年かそこらだ。病院の一室で酸素吸入器をつけて目を閉じている、そんな臨終の際、親類の誰かに促されて手を握った。じいちゃん、と声をかけると握りかえされた。それが俺の人生で初めての握手だったと思う。そして祖父の最期の握手でもあっただろう。
 俺は進化論を信じるが、個体とは遺伝子の乗り物にすぎない、とする説には反対だ。ただ遺伝子を運ぶだけにしては、人間には物語が多すぎる。想いや意味が多すぎる。進化論で俺の祖父を語ってもらいたくはない。
 決して人を殴らない憲兵だったこと、職人芸を極めたこと、ゲートボールを好んだこと、晩年に失った指のこと。何論でだって語らせねえよ。

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