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『千両役者浮世嘆』 第九幕

第九幕

 借りるたびにいちいちカネを出すくらいなら、ということで、買い取りたいという声も徐々に出てきた。単純に手元に置きたいという事情も聞かれた。裏ビデオのダビングを始めたいま、それはちょうどいいタイミングだった。相手をよく見て、適正な値段で売ることもあれば、おとなしそうな生徒を相手にぼったくれそうなら、二倍や三倍の値段で売りつけた。
 こういう商売を横で見ていたイズチはあきれていた。
「射精産業だね」という。
「産業かよ」
「そういう言い方もあるんだ。風俗店、エロビデオ、エロ本」
「儲かるならいいんじゃないか?」
「資本主義国だから?」
「いや、知らんけど」
 そこへまた声がかかった。ミズハラが教室の入口付近で俺を呼び、手招きしている。
 そちらへ向かうと、背の高い、見たことのない生徒がミズハラの隣にいた。ネクタイの色を見る。上級生だ。
「君がアズロ?」
「そうですけど」
「噂を聞いてさ、ちょっと来てみたんだけど。どんなの売ってるの?」
「いま売れ筋は裏ビデオですね。無修正が売れてます」
 上級生の頬が、かすかに上気したのがわかった。売れる、と踏んだ。
「最近いいものが入荷したんです。先輩なら安くしておきますよ」
 そういうやりとりをして、明日三本を取引することが決まった。上級生はそそくさと廊下の先へ歩いていった。
「あの人、部活の先輩なんだけどさ」ミズハラがいう。「アズロのこと話しちゃったんだ。迷惑だった?」
「いや、歓迎。売り上げが伸びるじゃん」
 そうか、とミズハラがいった。実際口コミで売れ行きが伸びるなら文句はない。
 俺たちの隣をキクタとヨモギが通った。入学当初はつるんでいたが、最近は話もしていなかった。
 避けられているのかもしれない、と思ったが、キクタについてはそうでもなかった。俺が誰かに貸したビデオを見たらしく、しかしわざわざ借りるのも面倒で、ならば買い取るか、などと迷っていたそうだ。そういうことを後日聞いた。テープは安く売り渡した。
 同級生や上級生を相手にし、貸すよりも売るほうがメインになりつつあった。新しいネタの仕入れやダビングは忙しいが、いよいよカネが貯まりだした。自分の部屋でひとり、勉強机の引き出しを開け、輪ゴムでまとめたカネを眺める。何を買うかということは特に考えていなかった。欲しいものはない。あるとすれば、あの青と緑の宝石、アズロマラカイトが欲しかった。俺はいまでも、ときどき母親の化粧机を開けて眺めている。こういうものがいくらするのかはわからない。だが、俺もこれと同じような宝石が欲しかった。
 いつか見つかるのだろうか。どこで見つかるのだろうか。あのきれいな宝石が俺の手にあれば、それで他のものはいらないような気がしていた。
 いつかアズロマラカイトを買おう。そのためにはきっとカネが要る。そう考えてカネの使い方が決まった。

 商売に明け暮れる日々だ。学校の授業にはとっくに取り残されていた。勉強なんかよりも商売のほうがずっと楽しい。我流だがコツを掴みつつあった。相手の声や態度や表情を見て、どれくらい引き出せるか、乗り気の度合いはどれほどか、それを素早く読み取って取引をする。必要なのは嘘と演技だ。ものがなくても新しく入ったといって、そいつがまだ見ていないものを売りつけ、買うのを迷うやつには、いい作品だがもうこのタイトルは最後のひとつになった、他のやつに売るかもしれない、などといって購買意欲をかき立てる。
 取引中、俺は真剣な顔もするし、おどけた顔もする。そこに本心などどこにもない。すべて商売のためだ。

 バチでも当たったか、ある日の授業中に頭痛がしてきた。すぐにおさまるだろうと思って取引記録をつけていたが、頭痛はどんどん強まり、俺は音を上げた。教師に許可をとって保健室へ歩いて行った。いくつもの教室の前を通っていく。教室と廊下を隔てる窓の向こう、生徒たちは真剣な眼差しで勉強をしていた。
 階段を降りて保健室まで来た。ここへ来るのは初めてだった。引き戸を開ける。部屋の奥に座っていた養護教諭は、化粧っ気はないが、きれいな女だった。

(続)

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