『不滅の友人』

 Jが死んだのはあいつが二十六歳だった夏の日で、そんな人生がどういう物差しで長い短いと決められるのかはわからないが、とにかくあの夏、Jは隣県まで自転車を飛ばし、崖から飛んで命にケリをつけた。
 友人として家族に呼ばれたのは俺だけだった。携帯電話に俺の記録だけが残っていたらしく、そうしてJの実家で死を知らされた。
 死体を調べたところ、苦しまずに逝ったとのことだった。それはなかなかの救いだ。死ぬときくらい苦しくなくてもいい。
 生前、自殺の兆候はあった。が、俺は軽く見ていて見逃した。鬱病だというJに、軽いのか、と訊いたら、軽いという。医者にはほとんど行かなかったらしい。
 Jの父親は笑っていった。私は精神科医なんか信じませんからね。医者を、精神医療を宗教やペテンのように考えていたようだった。この親のもとで生きるのは、Jにとってどれほど苦しかっただろうか。
 子供は親を選んで生まれてくる、それが嬉しかった、とJの母親はいっていたが、科学としていえば子供は生まれなど選べない。だから自殺したのだ。
 Jはとある劇団に入りたがっていた。一度そこのオーディションに落ちたあとはずっと、何年もひきこもっていたそうだ。
 もともと高校の同級だった。俺たちは同じ女に惚れていた。その女の結婚式に俺たちは呼ばれ、数年ぶりに再会して、それからはJが死ぬまでつるんでいた。映画を見た。音楽を聴いた。酒を飲んだ。お互いの小説の論評を交わした。友人として楽しい時間を過ごせたと思う。
 許せないことがひとつある。俺は未だにJのたった一言の罵倒を覚えている。脳に刻まれたその傷がいつでも俺にJを思い出させる。まだ続く苛つきが、あいつが生きていようが死んでいようが関係ない形で俺の中にある。そのようにしてJはいまのところ不滅なのだ。
 思い出すたび、あいつは俺の代わりに死んだのだと思う。ならば、俺はあいつの代わりに生きなければならない。
 そういう解き方のパズルなのだろう。誰かは死に、誰かは生き、そしてそのどちらであっても責任を引き受ける。
 死ぬ方は死んだときにすべて清算しただろう。だが生きる方は一生をかけて清算していく。すべての自殺は他殺である、とする説が根拠だ。俺は救えなかったJをまだ弔い、償うだろう。

 最近、Jの遺品のサイコロをなくした。どこかから出てくればいいが。

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