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『ナイフはコーヒーのために』 #5

「今度さあ、友達を呼んでいいか?」
 部屋で料理をつまみ、葵にいった。ちゃぶ台にはグラタンやらシーザーサラダなんかがある。
「食べものはとかは買ってくるから、葵は何もしなくていい」
「そうもいかないよ。誰が来るの?」
「柿沼とアーチーを呼びたい」
 葵は柿沼とは面識があるが、アーチーのことは知らなかった。僕は簡単に説明した。
「まだあいつらには話してないけど、たぶん来てくれるんじゃないかな」取り皿にグラタンを盛りながらいった。
 食後二人ともテレビを観てダラダラし、脳味噌が溶けるような雑談(例えば、ピーナッツを鼻から吸い込むとそれは肺に行くのか、または胃に行くのか、産地によって行き先が違う可能性についてなど)があった。順番で風呂に入ったあと、ベッドですっぽんぽんになってお互いにアクセル全開、しばらくして眠った。

 十一時頃に目覚めて携帯を見た。暇なのでダベろう、という柿沼からのメールが来ていた。どこで、と返信すると、どこでも、といってきた。今日あたりは少し涼しい。マンションの近くの公園を指定した。
 身支度を済ませて部屋を出た。廊下には木漏れ日があり、強めの風が気持ちよく吹いている。自動販売機でコーラを買った。缶は冷たく、表面に水滴がいくつも浮いた。
 ブランコと砂場と滑り台くらいしかない小さな公園の、地味なベンチに座って柿沼を待った。こんないい日なのに遊ぶ子供がいない。土曜だから家族で遠出でもしているのか。お父さん連中の家族サービスぶりを思い、僕もいずれは葵との子を連れてどこかに、などと抱負をまとめてみた。遊園地、キャンプ、海……。
「いや、その前にしっかりした職だ」
「そうさ、まだ若いんだからやれるよ」
 人の独り言に口を出すなんて、と決まり悪く感じて柿沼を見上げた。いつ来たのかわからなかった。Tシャツから生白い腕をのぞかせ、したり顔でベンチの前に立っている。
「なんだってできるさ」
「ポジティブだな。マスメディアに怒るような感じはしない」
「あれは半ば遊びだよ。本当は何事にも心が動かん。いろんなものがくだらんね。遺産ニートとはこうなるものらしい」
 そういって僕の隣に座り、持っていたカフェオレの紙パックを開けた。
「ただ、くだらなくない思いつきは持ってきた」
「いい知らせだ」
「パソコンにな、俺を入れるんだ。もちろん物理的にではないよ。プログラミングな。俺がこうして会話をするだろ? それと同じように、コンピューター上のプログラムが話すという構想を練ってる。C言語から勉強だ」
「それは難しくないか? 専門の施設が必要そうなんだが」
「うん、研究所で技術者がやることだろうな。でもまあちょっとしたもんなら作れる。アポロ十一号の制御システムだって、性能は初代ファミコン程度だったんだぜ。比べてみれば現代のパソコンの性能は異常に高い」
 二人とも公園の中央にある桜の木を見てダラダラと話した。ときどき風が吹き、枝を揺らしてざらっと葉がこすれる。
「木になりてえ……」
 彼は冗談か本気かわからんことをいった。確かに木になってみるのもいいかもしれない。やり方は知らないけれど。
「今日、給料日なんだ」
「人生が輝く日だな。めでたい」柿沼は煙草と携帯灰皿を取り出した。「何か問題でもあるのか」
「いや……。仕事がさ、このままでいいのか疑問でな。僕にはもっと他にやることあるんじゃないかって考えちまって」
「フレッシュな悩みだ。若いよお前。大人たちも、いや俺らも十分大人なんだけどそれは措いといて、彼らも自分にとってのベストな仕事なんかしてないよ。納得してねえよ。仕事に限らんけどな」
 煙草の煙がふわっと浮き、すぐにかき消えた。また風が過ぎていった。
「ベストでない自分の状態から目を背けるために、せめてベターであるように、この世の全ての娯楽や楽しみがある。音楽、映画、食いもの、干したばかりのふかふかの羽毛布団、俺には煙草」
「全部カネがかかるな」
「他の何にカネを使うんだ。ベストでない状態は苦しいだろ。楽になっていいんじゃねえか? これは人間の権利だよ」
 なるほどと相槌を打った。よくわかるが、引っかかった点を訊いてみる。
「カネがとれない人に権利はないか?」
「親の援助、生活保護、障害年金、治験、内臓の切り売り、手はいろいろある」
 日差しの感じは変わらなかったが、気がつくと二時間ばかり話し込んでいたようだ。軽い空腹を覚えた。柿沼を昼食に誘うと珍しく断られた。離れて暮らしている母親が来るのだそうだ。味噌汁をリクエストしたので帰らねばならないという。
 公園のゴミ箱にそれぞれ缶と紙パックを投げ入れた。乾いた音がした。人生を表す音があるならこんなふうだろう。

 部屋に戻り、今日はバイトがなくてだらけている葵の部屋着を掴んだ。とりあえずキスをした。
「夜にさ、食いたいものはあるか? おごるよ」
「居酒屋で刺身とかかな」
 渋いチョイスだ。ちょっとおっさんくさいけれど。とはいえ僕も越乃景虎とか飲むだろうから、おっさんくささではいい勝負か。
 最近新しい店ができたと教えてくれた。駅前のビルにテナントのある、海鮮がメインの飲み屋だそうで、それを聞いて食べたいもののイメージがぶわーっと湧いた。刺身の盛り合わせはいっとこう。ホタルイカの沖漬けがあるといい。生牡蠣なんかもポン酢でつるりといただきたい。
 よだれが出そうになった。
 昼食は冷凍食品にした。エビピラフを皿にざらざらと盛り、レンジで温める。二人とも冷蔵庫にあったカレー粉を振りかけて、カレーエビピラフにして食べた。

(続)

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