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『ナイフはコーヒーのために』 #3

 翌朝九時頃に携帯が鳴った。着信音と、隣で葵が寝返りを打った気配とで目覚め、体を起こして寝室から出た。ちゃぶ台の上にあった携帯を取る。着信は柿沼からだ。
「起こしちまって悪いな」
 柿沼はそういったあとテレビをつけるように指示した。半分寝ぼけながらではリモコンを探せなかったので、テレビ本体のスイッチで電源を入れてチャンネルを回した。画面に映った総理大臣は景気に関しての意見を述べている。
「これがどうしたって? いつもの総理だろ」
「いや、編集の仕方に問題がある。俺のほうではそれに文句がある」
「大したもんだ」
「文句をいいに行こう」
「僕も一緒にか?」
「こういうときに元ヤンキーほど頼りになるやつはいないからな」
 待ち合わせの時刻と場所は正午にテレビ局近くの駅だと告げ、柿沼は通話を切った。
 シャワーを浴びながら、ヤンキーになどなるべきではなかったと思った。でもおもしろそうだから行ってみる。
 正午ちょうどにその駅のテレビ局寄りの出口で合流した。柿沼は電気式メガホンをたすき掛けにしている。局へと歩いている間、すれ違う人たち全員の注視を浴びていた。
「それ、恥ずかしいんだが……」
 といってみても堂々として折れない。僕は離れて歩いた。
 交通量の多い道路の歩道を進み、局の職員とおぼしき人たちの面前を通り、やがて薄いグレーの建物が見えてきた。柿沼は武者震いなどしている。
 建物の前まで来ると、地下駐車場への入口の横に大きな自動ドアがあった。当然警備員もいた。柿沼は建物内に入ろうとしたが二人の警備員に両脇から捕まった。
「放せ小童! 俺は視聴者だぞ!」
「視聴者であって関係者じゃないから入れないんだよ。帰りなさい」
「うるせえ!」うるせえのは柿沼なのだが、捕まってなお諦めない。「意見を持ってきた人間にこの仕打ちか」
「帰りなさいって。ほら、業務の邪魔になるから」
 ぼんと背中を押された拍子に前のめりになって転んだ。柿沼と話していた警備員が「ったく、ニートが仕事もしねえで……」と吐き捨てる。友達を侮辱されたから、僕はイラッとしてそいつに近づいた。
「あのですね、僕たちはお話がありまして」
「帰れ!」
 僕はそこでキレた。
「おいコラ、なんだぁてめえは?」
「帰って死ね!」
 ああ、ここ数年、死ねなどといわれたことはなかったなあ。ふと昔を思い出しながらガンつけをし、この場にふさわしい喧嘩の売り文句をひねり出そうとしているとき、柿沼が肩を掴んで止めた。振り向くと彼はもう片方の警備員を指差している。無線で応援だか警察だかを呼んでいる様子だ。
 僕たちは走って逃げた。柿沼のメガホンはマイクとスピーカーがぶつかり、スイッチも入ってしまったようで、ガチャンガチャンガガガガとえらい音を立てていた。

 電車に飛び乗り、地元の駅に着いてからようやく安心した。なんとなく警官か何かに追われているような錯覚があり、落ち着かなかったのだ。柿沼も同じなのかはわからないが、空腹を訴えてきたところを見ると、一段落したような気分ではあるのだろう。
 昨日と同じファミレスに入った。窓際の喫煙席に座り、愛想のいいウエイトレスに注文をいった。僕がたらこパスタ、柿沼はハンバーグセットを選んだ。
 柿沼はさっそく煙草を吸い始め、まあその、といって朝からのことをまとめだした。
「まあその、こんな結果になっちまったわけだが、そもそものところから話そう」
「そうしてくれ」
「朝やってたニュース映像な、あれは明らかに歪められてると思ったんだ。総理の言葉はほとんどワンセンテンスで切り貼りされていた。おかしいだろ? 総理のいったことをそのままの形で伝えるべきなんだ。でもまだ話しているうちから声はカットされてナレーションが入る。これはおかしい。そして明るみに出てない真っ黒な問題については全く触れていない。いやしくも民主主義国家のマスメディアならフェアにやろうぜ、というのが俺の思いだ」
「なるほど、主張はわからんでもないが、手段はよくなかったぞ」
「他に考えられなかったんだ。この、親父が学生運動で使った由緒あるこいつでさ」といって傍らのメガホンに手を置く。「ひとつ叫んでみようと思ったんだが。俺にだって戦うフィールドが欲しい。最近はそんなことを考えてる」
 二本目の煙草が灰になったときにたらこパスタが運ばれた。バターとたらこと刻んだ海苔が香ばしく、非常に満足のいく昼食となった。
 それぞれ食べ終え、走ったことでの体の疲れを取ろうということで早々にお開きとなった。同行してくれたからとおごりたがる柿沼にむりやり千円札を渡した。人様の遺産で飯を食べるわけにはいかない。

 部屋に戻ると葵が化粧をしているところだった。脱衣場の三面鏡から目を離さず、マスカラを塗りながら「おかえり」といった。
「さんざんだったよ、楽しいような気もしたけど」
「なんかあったの?」
「テレビ局に行って追い返された」
「今日バイトで遅くなるから、夜食は自分で食べてて」
 ちゃんと聞いてくれなかった。
 葵を見送り、寝室のベッドに横たわる。頭の先にある窓からの日光が眩しく、体をひねってカーテンを閉めた。時計は二時を示している。夕方の作業に間に合うよう、アラームを四時にセットして眠る。
 気持ちよく寝ていたのだが、アラームが鳴る前にカーステレオの音で目覚めた。寝室はマンションの駐車場に面しているため、車のエンジン音などが響く。だからたいていの雑音には慣れているが、いま聞こえてくるクラブ系の音楽はうるさすぎた。
 カーテンと窓を開けて一喝した。
「うるせえぞコラァ!」
 車のそばにいたサーファーだかチンピラだかわからん金髪二人がこちらを向いた。ニヤニヤしてボリュームを上げる。挙句踊り始めた。馬鹿なのは仕方ない、半分くらいはそいつの責任ではないのだ。しかし他人に迷惑をかける段階に至っては許されぬ。
 ぶん殴ってくれようと外へ出た。同時に右隣の部屋からも人が出てきて、その人は武闘派のヤクザさんなのでここは任せようと思った。
「おうおう、兄ちゃんたちよ、ちょっといいかい」
 重低音が効いた声でいいながら金髪二人に近づいていった。彼に気づいていないのか、二人はまだクネクネ踊っている。
 ややあって金髪たちは張り飛ばされ、車の後部に積まれたスピーカーはベコベコに破壊された。僕は戻ってきたヤクザさんに礼をいう。
「ありがとうございました。もう、うるさくって」
「たまらねえよな、ガキが調子に乗ってよ。あんたも黙らせようとしたんだろ」
「ええ、まあ」
「次も何かあったら俺にやらせろ。カタギが無理するこたあない」といって部屋に戻っていった。
 駐車場では金髪たちが泣きながらスピーカーの破片を拾い集めている。「見てんじゃねえよお」といわれ、確かに見るものでもないので僕も部屋に入った。バイトの準備をする。

(続)

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