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『千両役者浮世嘆』 第十八幕 最終話

第十八幕(最終話)

 それがカネが欲しくてやることなのか、イズチを恨んでやることなのか、自分でもよくわかっていなかった。ただ、そうすることが自然な流れのように思っていた。
 放課後に、渋谷でビデオの安い店を見つけた、とイズチに告げた。カネを持って一緒に行こう、と持ちかけるとすんなり承諾した。
 日曜日、俺たちは私服で落ち合い、人混みの中を歩いていった。イズチは先導する俺に、楽しみだね、などと無邪気にいった。俺は答えなかった。
 センター街から横へ行って、人のいない裏路地へ入っていく。
「ちょっと待っててくれ、このへんなんだけど、迷った」
 わかった、とイズチはいった。俺は早足でさらに奥へ行き、先輩が待っている雑居ビルまで来た。先輩は階段に座っていた。
「連れてきた?」
「はい」
 じゃあちょっと行ってくるわ、と行って階段から立ち、イズチのいるほうへ向かっていった。
 時間を見て、二十分ほどしてから、打ち合わせた通りに裏路地のそばの公園へ行った。先輩がイズチと一緒に座っていた。イズチは怯え、震えていた。
 どうしたんですか、というふうに訊いた。先輩は、こいつに睨まれちゃってさー、と答える。
「お友達?」
「はい」
「ちょっとここ座って」
 いわれた通りに座る。三人でベンチに横並びで、中央に先輩がいる形だ。
 この三文芝居の間、先輩は何かはしゃぐように話していたが、俺は聞いていなかった。先輩はやがて黙り、イズチをじっと見て、こめかみのあたりを殴った。パキン、という音がした。イズチはぐらつき、頭を押さえてかがみ込んだ。
 じゃあ持ってきて、持ってこないとお友達殺しちゃうよ、と先輩はいった。イズチは頭を押さえたまま歩いて公園を去った。
「持ってくるかなぁ。あいつけっこう手持ち多かったよ。三万持ってたからもうないんじゃないかな。つーか聞こえた? パキンって音したよさっき、テンプル割っちゃたかな、割れたらさ、テンプル割れたら死ぬんじゃなかったっけ? ボクサーでもたまに死ぬでしょ? やべえよ、割っちゃったよテンプル、あいつ死んだら捕まるかも俺」
 先輩は楽しげにそう話していた。
 家にカネを取りに行かせるという話だったのだが、いくら待ってもイズチは戻ってこず、俺と先輩は解散した。先輩はイズチから奪った中から一万を俺によこした。
 家に帰ると母親がいて、イズチの親から電話があったということを聞いた。俺が捕まってしまった、警察を呼ぶべきかどうか、ということを話し合っていたらしい。
 母親は俺を心配していたようだが、まったく何事もない様子で帰ってきたことで、今度は不審に思ったようだ。
 悪いことはしていないか、と訊かれた。していない、と俺は答えた。
 その後、また親同士での電話が交わされたようだった。俺は自分の部屋で、横になってじっとしていた。ポケットからイズチの一万を取り出した。ベッドから起き上がり、それを机に入れた。

 しばらくイズチに会う気になれず、保健室にも行かずに、地元の町をほっつき歩いた。どうということのない住宅街をどういう当てもなく歩いていた。
 三日間そうして過ごしたあと、学校へ向かい、教室へ行った。イズチは俺を見て手を振った。
「無事だったか」
「まあ無事だね。こめかみのさ、ここが」と指で差した。「なんか折れてるみたいなんだけど。押すとへこむんだよ」
「医者に行けよ。あと親とかに話してんじゃねえよ」
「アズロが殺されるかもって思って」
「大ごとにしたくなかったんだけど」
 そうかもしれないけどさ、とイズチは視線を落とした。俺はこいつを裏切ったのだ、と思うと、もうそこにはいられなかった。
 保健室へ行った。先客がふたつあるベッドを両方埋めていて、タチバナ先生は机に向かっていた。振り返ると、俺に何か話すということもなく、机のそばに座った俺に温かいお茶を淹れてくれた。

 その後も日常は日常としてあったような気がするが、あまり覚えていることもない。俺は何かが大きく欠けた気持ちで過ごしていた。その欠落を埋めようとして、いつかイズチに電話を入れた。
「許してほしいんだ」
 何について、ともいわない俺に、イズチはふっと息を吐いて答えた。
「許すよ」
 静かな声だった。
「きっとさ、アズロだって、誰だって悪くないんだ」
 悪いやつなんていなかったんだよ、と、暖かくも冷たくもない声で俺にいった。

 やがて中学生としての時期は終わろうとしていた。併設の高校へ行けない俺は別の行き先を選ばなければならなかった。
 どこへ行けばいいか、何をすればいいか、まだわからない。欲しいものを手に入れるためにがんばればいいのかもしれないが、もう欲しいと思うものもなかった。
 机の上にはまだ砕かれたアズロマラカイトがある。俺もこのように砕けたのかもしれなかったが、どうであれ、生きなきゃいけないのだとは思う。
 クソみたいな俺の、どうしようもない人生を、この先も生きればいい。
 アズロマラカイトの破片をつまんで、口に入れてみた。
 何の味も、しなかった。
                                                                             〈了〉

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