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『千両役者浮世嘆』 第十五幕

第十五幕

 何枚かの札の感触をポケットの中で確かめながら電車に揺られた。通勤や通学の時間帯ではない。乗客が少ない昼前の電車内で車窓を見ていた。マンションが点在し、一戸建ての屋根が並ぶ住宅街だ。そこにあるのは幸福な人生だろうか。大きな問題もなく生きられていく、人間らしい道だろうか。
 あの店の最寄り駅に着き、早足で歩く。通りに面したショーウィンドウまで来ると、窓越しに女主人と目が合った。女主人はガラスドアを拭いているところだった。
「きれいなものを入れるなら、箱もきれいにしなきゃいけないから」
 店内に入った俺にそういった。この店は自慢の宝石箱なのだろう。
 店の中の品数が増えた気がする。それをいうと、海外へ買いつけに行ってきたばかりなのだそうだった。数多くの輝く石の中、俺はテーブルの上にアズロマラカイトを見つけた。青と緑の混じり合う、ゴツゴツとした、原石のものだ。大きさは俺の拳くらいだ。俺の目線を追って女主人がいった。
「うん、欲しいのはそれよね。探し回ったわ。それはコンゴ産の、ちょっといい質のもの」
「さわってもいいですか」
「どうぞ」
 そういって店の奥へ行った。俺はアズロマラカイトに両手を伸ばし、慎重に手に持ってみた。深い青は湖のようで、緑は草原の色、照明に照らされて細かい銀色の粒が光り、それは星のように見えた。
 ああ、きれいだ、とただ思った。
 女主人が紅茶のカップをふたつ持ってきた。コーヒーを選ばなかった俺の好みを覚えていたらしい。カップを受け取るため、アズロマラカイトをテーブルに戻した。
「いいでしょう?」
「いいですね。詳しいことはわからないですけど」
「直感がいいといえば、それはいいものやいいことなのよ」
「そうなんですか」
「磨かれた直感だったらね――さて、買っていく?」
「すみません、出直します」
 うん、と頷いてカップを口につけた。
「あの値段じゃそうなるわね」

 またすぐに来る旨を伝え、店を出た。アズロマラカイトの置かれたそばに値段のついたシールがあり、そこに書かれていた額に俺の所持金はさっぱり届かなかったのだ。だが部屋のカネをまとめれば買えるだろう。
 引き出しの中にいくらあったか、と思い返しつつ、また電車に乗って家へ帰った。
 頭の中でごちゃごちゃ考えつつ歩いた。家に着くと、玄関の前にスーツ姿の男がふたりいた。ひとりはアロハシャツをスーツの下に着込み、もうひとりはサングラスをかけていた。
「北山君?」
 サングラスのほうが訊いてきた。
「北山明日朗君?」
 黙っているとアロハが近づいてきた。尋常でない力で俺の腕を掴み、通りから引っ張り込んだ。
「兄貴が質問してるんだけど。お前は北山明日朗か?」
 頷くのでやっとだ。
「そうみたいっす」
「あ、そう。じゃあ鍵をね、出してもらって中に入ろう。疲れたよ。座りたい」
「わかりました」アロハはそう答えてから、俺にささやいた。「鍵を出せ」
 俺はポケットに手を突っ込んだ。鍵を渡した。痛みも恐怖もたいして感じなかった。この状況をじっくり見ているもうひとりの自分がいる。そのもうひとりというのは俺と不可分だが、同時に離れてもいる。そいつは俺の横に立ち、笑って腕を組んでこの状況を見ていた。
 余裕、余裕。
 そういってニヤニヤ笑うその口もとが何かに似ていた。いや、似ていた、というのは違う。俺の笑いそのものだった。

 ヤクザふたりと俺とで家に入り、リビングでサングラスがいった。
「いいテーブルじゃない。座ろう。明日朗君はそっち座って」
 いわれた通りに座る。反対側にサングラスが座る。アロハは立っていた。
「あのー、なんか君、冷静にしてるからわかってると思うんだけどさ。なんで俺たちがここに来てるかわかるかな」
「わかります」
「言ってごらん」
「テープの件ですね」
 話が早いなあ、とサングラスはアロハに笑いかけた。アロハは、そうっすね、早いっす、といった。
 でね、とサングラス。
「難しい話じゃないんだ。俺たちの職業倫理? メンツ? そういう問題かな、君にけじめをつけてもらいたくて来たんだ」
 けじめですか、とオウム返しをした。サングラスは深く頷いた。アロハを見るとにらみ返され、このリビングの中、どこを見ればいいかわからなかった。

(続)

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