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5/27 広告業界の未来の議論

Q子会に参加して考えたことを、まだ心が熱いうちに残しておきたいと思う。※すいません、写真お借り致しました。

昨日のパネラーの背景はざっくり以下の3つに分けられました。

・総合広告会社の方
・そこから独立された方
・ウェブ専業の方

少し話が横道に逸れますが、電通はよく「新聞とともに成長してきた」といわれます。それはマスメディアが何から始まったか?ということと、電通(電報通信社)が広告会社の先駆けとして設立されたことからも、その結びつきの強さは想像に難くないでしょう。他にもテレビ、ラジオ、雑誌などマスメディアとともに(むしろ共依存的な関係で)大手広告会社は成長してきました。しかし、4マスの状況はこんな感じです。

その点はQ子さんからの投げかけもあり、”メディアコミッションだけでは稼ぎ続けられない現状”が昨日の議論でも中心になった。

一方で業界のDisruptor(破壊者)として気を吐いている方々がいます。
それが、牧野さんのエードット・カラスであり、三浦さんのGOです。少し違うけどラクスルもかな。

彼らは何とともに成長しているか、それはやはりインターネットだと思う訳です。そんなのサイバーエージェントもあるしライブドアもあったし、今に始まったことじゃないと仰られる方もいると思いますが、その通りです。今に始まったことではありません。しかしながら、当時も今もメディアやプラットフォームを作るということに重きをおいている彼らとは少しポジションが異なるように思うわけです。

では何が異なるのでしょうか?それはクリエイティブの力を信じているか否かと私は解釈しています。

その前に。

巨大帝国の崩壊

なんて週刊誌が喜びそうな見出しですが、電博は彼らにその領域を侵食され瓦解の道を辿るだけなのでしょうか?それを考えるにあたり、ここで少し総合広告会社とネット広告専業会社の関係にも目を向けてみたいと思います。この点も昨日の議題にあがったポイントでした。

あるブログを読んだ時の自分のnoteを紹介させて下さい。

「Specialist or Generalist」の議論もありましたが、総合広告会社はSpecialistが多く分業が進み過ぎています。つまり、関係者(社)が多すぎて、コストも時間も余分にかかる。端的にいえば、人が多く介在する分マージンは重なるし、納品までの時間も遅くなる。ウェブ専業の方からみれば非効率極まりないでしょう。

一方でウェブ専業会社ではブログ著者が指摘するように、クリエイティブとは何か?と問いたくなるような現場があるというのも事実です。過激な表現ではありますが、「広告を屠殺」するとも言いたくなる環境だったのだと推察します。

論点が多すぎるので1つだけ「それはクライアントの為になっているか?」に絞って考えてみたいと思います。結局CPA最適化などの獲得効率を高めることを至上命題とする企業はウェブ専業でないと提供できないソリューションがあるでしょうし、中長期のブランド構築をしたい場合には総合代理店に依頼する方が確実だ。業界や企業ごとに違うというよりは、企業がいまどのステージにいるか?というのが重要で「今いるステージに必要なサービスは何か?」という問いに置き換えても良いと思う。

これまで、我々(総合広告会社)は”ワンストップ・ソリューション”というのを最大の価値として、色々な事業領域をカバーし、色々な会社をグループ傘下に収めてきました。しかし、機能として提供することはできても、大きな企業としてそれを提供することに価値があるのだろうか?そこは十分に考えないといけないポイントだと思う。

クライアントによっては広告会社、ウェブ専業などを上手く使い分けているところがある。それをディレクション、マネジメントするのがクリエイティブディレクターという存在なのだと思う。CDは社内にいてもいいし、社外にいてもいい、何も広告会社に所属する者だけがCDになる訳ではないし、そうある必要もないと思う。クリエイティブワークを司ることができる参謀であれば、どこに所属していたっていい(はずだ)。昨日眞鍋さんはじめ皆さん仰っていたが、クリエイティブな作業をディレクションできる人材が必要だ。

クリエイティブな作業を必要とするのは、何もコピーライターやアートディレクター、CMプランナーのようなクリエイティブ専門職だけでなく、営業局にいるビジネスプロデューサーだってその役割を担えるようにしないといけない。その辺はGOの三浦さんが口を酸っぱくして言っているだろう。

メディアコミッションだけで十分な稼ぎが得られなくなれば、今いる人数・体制を維持していくのは困難だ。グローバルでみればWPPやオムニコム、インターパブリックなど大手寡占の状況が続いているが、日本のような広告商習慣(メディアコミッション)を続けていくのは、やはり限界だろう。

我々が抱えるモヤモヤは

「いつまで過去の遺産で食べていくのか」
「食えなくなったときの準備はどこまで進んでいるのか」
「誰が(何が)ゲームチェンジを一気に進めるのか」

こんなところだろう。遺産は来年にも無くなってしまうかもしれないし、未来への投資は何も進んでいないかもしれない。ゲームチェンジは自分たちが主導できれば最高だけど、外からポっと出のスタートアップがいきなり広告市場をひっくり返すかもしれない。

悲観的過ぎるだろうか?ずっと考えているけど答えが出ない。答えが出ない状況が続けば、「自分でやってやら!」と独立する人が益々増えるだろう。中長期的にみれば牧野さんのようなプレイヤーが市場に多くなれば日本全体にとっては良いのかもしれないけれど、既存の業界にしがみつかざるを得ない人たちの未来は暗い。真っ暗だ。

私だけでなくこの状況をモヤモヤ考えている少なくない人が昨日ネット上に集まった。そんな皆さんに向けて、泣く子も黙る岡康道さんの言葉をご紹介して終いにしたい。これを読むたびに我々の仕事は何かと考えてしまう。

左脳に寄った話は誰もが理解できる。右脳に寄った話は理解できる人と理解できない人がいる。右脳で議論されない。誰もが納得できるものにすると、一切の右脳的要素がなくなってしまう。
しかしヒットするものは右脳でヒットする。そうは言い切れる。左脳的に話すのは、そうしなければ企画が通らないからに過ぎない。
主観的な意見だと思われることもある。ただ、長くやってきた、ある種の判断というものがある。嫌だと言われたら仕事にならない。負けても良いと思っている。そうでなければ、右脳の警告ランプのスイッチを切り、左脳で平凡なものに仕上げてしまうだろう。

※開催にあたりZOOMに課金までして下さったQ子さんに感謝申し上げます。ありがとうございました!



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