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5/14 データ・データ・データ

出た!!


私の仕事は広告キャンペーンを行う際にコミュニケーションプランやメディアプランなどを考え考えることです。そしてここ数年、データと向き合う時間が仕事のほぼ全ての領域を占めるようになりました。ユーザーとの接点をどう作るかとか、いかにしてエンゲージメントを高めるかとか、テレビとウェブの最適予算配分やら、リーチやら認知やら購入意向やら、色々全てにデータが絡んできます。

データでしか会話できなくなった

インターネットが浸透しデジタル化が進んだ世界においては仕方のないことなのだと思います。クライアントに何かを提案すれば、根拠を求められます。当然です。思いつきで提案したらお叱りをうけるでしょう。だから、仮説を立て、アンケートやユーザーインタビューで検証し、それらから得られる示唆を元に根拠とする訳ですが、それだけでは足りない訳です。

はじめはクライアントから求められるがままにデータを出していますが、ある時我々自身もデータが無いとモノを考えられなくなり、企画に対する自信というのも持てなくなります。データに囚われてしまった瞬間。それまで妄想や思い込みと捉えられかねないものでも、企画者の熱量とクライアントのチャレンジャー精神で実現できているものもあったでしょうが、今ではそういうことを耳にする機会も少なくなりました。

そういうのは再現性が高くないんです。まぐれで出来た企画かもしれないし、自社で横展開するのが難しければ、後輩にノウハウとして伝えることが困難です。だから、ある程度データに基づいて進めるというのは全体最適だと思うのですが、個別に見たらなんか面白みに欠けないかな?と少し思います。

例えばある企画を思いついたとして、何が面白いのか?というのを客観的根拠をもって理路整然と説明するというのはかなり難易度が高い。想定ターゲットの設定や、ターゲットの嗜好性、今で言えばカスタマージャーニーのようなものを考えるが、そもそも”ある確からしい仮説”をベースに進めているのだから、ファクトはそれを肉付けし補完するものでしかない。だから、どこかでジャンプ(飛躍)しないといけないのだが、それがなかなか出来ない。根拠がないし、怖いから。つまりは、そこでクライアントにジャンプさせられないのは我々広告会社の責任でもある。データでしか会話が成り立たないという状況は非常に心苦しいものがある。

昔だってデータは使ってたと思うんだけど、どうやって企画を通していたのだろう。例えば、ダイハツのCMとか「なんで鹿?(”かくかくしかじか”だから?)」とか大和ハウス工業は「どうしてダイワマン?」とか。

面白ければ良い、、、訳では決してないと思うのだけれど、これを通した方は凄いと思います。

日本人の気質として、競合の動向を気にして横並びを狙ったり、過去実績をやたらに欲しがるものだが、そういう国民性においてはデータに基づいた判断というのはとても親和性が高いのだろう。

昨今、運用型広告が盛んだから日々の運用改善にデータを活用するのは必要なことだ。しかし、全く新しいことをしようとする際、無理にデータを集めることに時間を掛けたり、あまり相関性もないデータと組み合わせて無理くり根拠を作ったりするのも、果たしてどうなのだろうか。

データと上手く付き合う、というのは耳にタコが出来るくらい聞かされていることだが、上手く付き合えているところを正直なところ余り見かけない。自分も反省しないといけない。

ちなみにサムネイルを「VRゴーグルをかけた男性」にしたことに何の根拠もありません。根拠がないことをやるって、気持ちいい。笑

もしサポート頂けることがあれば、それは金額の多寡というより、そのお気持ちが私に多大なる自信を与えてくれます。それに感謝致します。