学級という民主主義国家
幸せになる勇気 No18 国家と主権者
この世界に過去など存在しない、語り合うべきは、”これからどうするか”だけである。青年は、一応、この前提に立ちました。その上で、「学級に尊敬さえ持ち込めば、すべて解決するとお考えなのですね?」と哲人に問います。
尊敬については、以前紹介しました。
尊敬と悪事
哲人はそれだけだと不十分だと言います。「アドラーの主張は、法やルールを無視するものではありません。ただし、そこでのルールは民主的な手続きによってつくられたものでなければならない」
そう、確かにアドラー思想を学んでいると、課題の分離での他者の課題に踏み込まないという鉄則に無理があるように感じることがあります。つまり、他者が何をしても、それはその人の課題だからと距離を取る、それを認める以上、他者の行為そのものをただただ肯定することになってしまう…。
それは、「アドラーはそんな無法地帯を認めるのですか?」という青年の疑問にも繋がります。
ルール策定の担い手と民主主義
そこで、登場するのが民主主義というワードです。なんだか一気に政治の匂いがし始めます。ただし、ここでの民主主義は、その共同体でのルールを定める際の仕組みとして登場します。まず、
「学級を、ひとつの民主主義国家だと考える」
そして、
「学級という国家の主権者は教師ではなく、生徒たちである」
とする。つまり、国家としての学級のルールは、主権者たちの合議に基づいて制定されなければならないのです。学級が荒れる原因として、哲人は、教師が統治する独裁国家となっている、と例えます。「学級が荒れているのは、生徒個人の問題ではない。あなたに教師としての資質が足りないからでもない。ただそこが腐敗した独裁国家だからこそ、荒れているのです」と。
そして、腐敗する原因を明確に示します。それは、
賞罰
因みに、アドラーの奥さんは、ロシア出身…。なかなか、皮肉な話です…。
そういえば、”学級会議”みたいのあったなぁ。みなさんは覚えてますか?結局決めるの先生、とか、人気あるヤツ、とか、結局多数決、とか。なんか、釈然としない後味だった気がします。あれは、何でだったんだろう。一応民主主義を持ち込んではいたけど、形骸化してたというか、その意味やシステムをしっかりと理解していなかったのかな…
また、明日!!
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