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SUMMER SONIC 2023 TOKYO DAY1

行ってきました。感想です。

🔷到着まで
 もうどうやっても暑いだろ、ということでスーパーで冷感シートを購入、脇の下にはっ付け電車に乗車。筆者の自宅から海浜幕張まではおよそ1時間、途中のシャポーで調子に乗ってサングラスを買うなどし、ゆっくり向かう。武蔵野線の本数、アレどうにかなんないんすかね……。毎年臨時で特急とか走らせたらいいのに、ケンドリックエクスプレスとか、ブラー24号とか、知らんけど。そんなことを考えてる間に海浜幕張に到着、分かりきっていたことだがやはり暑い。こんな日に限ってブラックのキューバシャツ(しかも長袖)を着てきた筆者にも非はある。ビーチステージ側のゲートでリストバンドの引換を行い入場。俺は今年も、サマソニに来たんや……‼︎

🔶13:05~ PALE WAVES
 ひとつ前のNewJeansが大変な盛況ぶりで、ちょっと早く行って席とっとこ〜などという筆者の野望は入場規制の看板の前で打ち砕かれるという滑り出し。ツイッターを確認するにもあまりの人に電波通信もままならず、なんとなく外の景色を撮影するなどして時間を潰す。パフォーマンスが終了しいざスタンドへ、階段登って一気に視界が開けるあの瞬間、何度やっても心昂る。あまりにパンパンのアリーナ、あまりに多くの退場客、この時間帯では異例とも言える入場規制を用するだけある。この退場騒ぎは演奏が始まっても続くわけだが、いやもうPALE WAVESの話をしよう。何を隠そうこのバンド、筆者が洋楽を聴くようになるきっかけを与えてくれたバンドであり、今回のサマソニで是非観ておきたかったアクトのひとつである。開演時間から少し押して、ボーカルを除くメンバーがステージ上へ。続いてサングラスを身につけたヘザーが堂々と登場。ゴスかはたまたグラムともいえようか、その姿は会場の視線を一気に惹きつけ離さない。もう4、5年ほど前だったか彼女らのライブを恵比寿で観たことがあるが、なんだか大きくなったんだな…(何が?)と勝手にしみじみ。その音楽性も3枚のアルバムで着実に変貌を遂げており、初期のインディー、シンセポップのような音像から現在のエモやパンク、果てはラウドとも形容できる楽曲までこなす音楽偏差値の高さには圧倒される。スタジアムの構造かそもそもフェスでの特徴かどのアクトもドラムがでっかく処理されがちだが、このバンドは輪にかけて大きく感じる。というのも、ライブを鑑賞して感じたこと、またインタビュー記事などを読んで感じたことだがおそらくこのバンドのコンポーザーたるのはボーカルとドラムなのだろう。結成のきっかけもこの二人だったように記憶しているが、それ故バンドとして楽曲を披露する際の軸として両パートが強調されるのではないだろうか。対比するように、ギターベースの男子たちは音量アレンジともにいささか控えめに感じる。しかしこれも決して陰が薄い、というわけではなくどこか戦略的な部分を感じる。薄い、というより狙って薄くしている感じ。初めて彼女らの演奏を聴いた人はまずその「声」に魅入られることになると思うが、それを可能にしかつ他のバンドとの差別化を図れているのもこういったバンドの方針があるのだろうと予測できる。以前恵比寿で観た際は曲の建て付けも相まってSE頼りのパフォーマンスという印象が強かったが、楽曲の振れ幅が広がったことに呼応しその課題も克服されていたように感じた。というか知らぬ間にアヴリル・ラヴィーンとかパラモアみたいになってたんだな……。でっかい会場ででっかいパンク、良い。ライブ後半、ボーカルヘザーが客席から虹色の旗を受け取る。いわゆるLGBTを表すフラッグであり、マイクスタンドにたなびかせながらギターをかき鳴らす姿は筆者に強烈な印象と、自身のLGBTに対する理解、また英語力の乏しさへの実感を残した。昨今、特に海外のミュージシャンはこうしてライブで自身の宗教や政治、ジェンダーに対するアティチュードを色濃く表明することが多いように感じる。我々もいつまでも無理解無関心であってはならないのだと、心に刻まれた。彼女らはまた新たなきっかけを筆者にくれた。ああ観れてよかったなと、今しみじみと感じている。

🔷14:10~ [Alexandros]
 本来はPALE WAVES終了後、ビーチステージに移動しペトロールズを観る予定だったのだがあまりの暑さに動く気合いを削がれそのまま彼らを観ることに。ライブを観た回数では筆者の中でダントツの彼ら、こちらも高校生振りのパフォーマンス観覧である。セットリストはまさに中高の筆者メッタ刺しの内容で、学校生活や部活動の帰り道などを半強制的に想起させてくれた。思えばドラマーが変わってからライブを見るのは初めてだが、前にも増して鬼気迫る迫力マシマシドラムになっており、その姿はまるで獣であった……。バラードでは一体どのようなドラムプレイになるのかも気になる。さて、先述の通り筆者の青春の一部である彼らだが、正直そのパフォーマンスを見て気分が高揚したかと言われるとそうでもない。高校卒業、コロナ禍、大学入学を経て筆者のパーソナル、人格が中高時代と大きく変わったのがその大きな要因であろう。ライブに対する姿勢、邦ロックの得意とするところである「みんな声出せーーーー!」というようなカルチャー、一斉に腕を上げ下げしみんなで飛び跳ね踊り狂うという、ある種予定調和のようなライブにひどく嫌悪感を覚えるようになってしまった筆者には、彼らのライブにあまり多幸的な側面を見出すことはできなかった。先ほどのヘザーを見てからだとボーカル川上洋平のカリスマは少々心もとないように思えるし、ベースががなり声で煽って来るのもなんだか陳腐だ。もちろんそれが良いという人々がいるのも重々承知の上だし、彼らを真っ向から否定するつもりも毛頭ない。ただ、音楽性も演奏技術も、果ては演奏者被演奏者それぞれの人格すらもが時と共に移ろい行き、この世は無常なのだと、そういうことである。みんなわかってるのさ。

🔶15:15~ TWO DOOR CINEMA CLUB
 通算6度目のサマソニ出演だそうで。手早く踊るにはトゥードア聴けと言うとか言わないとか。かくいう筆者もスタンドで踊ることを期待して待っていたわけだが、結論突き抜けてダンサブルでした。ひとつのリフを一貫して繰り返しながら展開していくというテクノな手法は見事で、ある意味専売特許のようでもあり、またこれまでの彼らの歴史の積み重ね、その発露であるとも言える。先ほどの[Alexandros]が「みんなに踊らせる」だったのに対しトゥードアは「一人一人が好き勝手踊った結果それが『みんな』になる」というようなパフォーマンスで、筆者個人としては後者の方が圧倒的に居心地が良い。ライブハウスかクラブか、といった違いだろうか(筆者はクラブに行ったことはない)。フォールズやフレンドリーファイヤーズよろしくシンセをフィーチャーした楽曲も見られたが、あくまでその土台はインディーポップであり、派手な音色を要さずともギターだけで十分に踊らせてくれる。テレキャスターなどシングルコイルのギターのいい意味での重心の軽さと、思いの外強靭だったリズム隊のコンビネーションは圧巻で、キャパ30000灼熱のディスコがそこにはあった。KANA-BOONやKEYTALK、遡ればベボベやらドーパンのレイクステージ入場規制など、ダンスビートと綿密な関係性を保持してきた邦ロック、そしてそれを聴き学生時代を過ごしてきた筆者のような日本人にとってトゥードアは全ての始まり、元ネタ、始祖のような存在であり、体が動いてしまうのも当然の結果である。四つ打ち職人TWO DOOR CINEMA CLUB、ソニマニとかで見たらもっとすごいんだろうな……。

🔷17:00~ Cornelius
 二日間のサマソニで、筆者にとってのベストアクトはCorneliusであった。以前から観たいと思っており今回ようやく念願叶ったわけだが、実に素晴らしい音楽体験だったと断言できる。動線どうにかなんねえのかと今年も愚痴をこぼしつつソニックステージに到着すると舞台には紗幕が下ろされており、映画「メッセージ」に登場したような円形のモチーフが映し出されながら絶えず波の音が鳴っている。なんだこれは、何が始まるというんだと期待は本フェス随一のものだった。いざ開演時刻、そのモチーフはオシロスコープのような波形に姿を変え、小山田圭吾のマイクチェックとともにライブの始まりを告げる。後ろから後光が指すみたいな照明、良いですよね……。紗幕が落ちると、これまで映像で観てきたのと寸分違わぬ横一列のメンバーの姿。自然と口角が上がってしまったのを覚えている。そこからのおよそ50分のパフォーマンス、それはどんな言葉も介在できるものではなく、というか何が起こっているのかもう処理しきれないような、ただ「最高だ」という結果だけが残るものであった。最高でした。大事なことなので二回言います。時間も、空間も、音色も、拍も、拍子も、映像も、照明も、歌詞も、曲も、もっともっと抽象的な事象も、無機物有機物自分他人、ソニックステージのあらゆる「全て」を小山田圭吾はその手に掌握してみせた。彼の脳内にテレポートされた、とでも言えようか。ポストサンプリング時代、いやフリッパーズ・ギターにおいて自身がその時代を創ったとも言える彼の手腕は楽曲ならびにVJに大いに反映されており、スクリーンにOASISやBLURが映った時の歓声は、演者ではないにもかかわらずこの上なく心地良いものだった。ライブにおける個人的なピークはYMOの楽曲「CUE」のカバーが披露された瞬間であり、原曲に比べて落ち着いたアレンジと独自の温度感を持つ小山田の声色との相性はまさに一級品といえるクオリティだった。そこから続けて披露された「環境と心理」、「あなたがいるなら」というセットリストが持つ意図は、彼のキャリアを知るものであれば、またこの春訪れた複数の長い別れを悼むものであれば、その感動もひとしおであろう。手に取るもの何もかもを素材とし再構築を図る手法、ライブというより実験の方が近いとすら感じられるパフォーマンス、多分マイクラとかやらせても上手いよな小山田圭吾という男は。また観たい、もっと観たいと思わせてくれる、最高のステージであった。

🔶19:30~ BLUR
 さて本日のヘッドライナー、UKロックの至宝ブラーであるが、正直この時点で体力集中力ともに限界を突破しつつあり記憶があやふやである。グレアム擁する布陣では初となるサマソニ、そんなメモリアルな公演を万全な状態で楽しめないという、一番踏みたくない地雷……。ああ本当に勿体無いことをした。しかしあの暑さに一日という長丁場、勘弁してほしいのも事実……。超満員のマリンステージから10年分の歓声をその身に浴びながら登場した彼らからは緊張や焦り、あるいは気を衒ってやろうといった意気は一切感じられず、30年近いキャリアが築いてきたブラーという看板の堅牢さが観てとれた。一応全てのカタログを網羅し臨んだもののそこまで筋金入りのファンではない筆者であるが、それでも聴き馴染みのあるアンセムがセットリストに並べられ、それでいて最新作からもバランスよく選曲されているというベストな配置。曲が始まる度轟音のような歓声がスタジアムを揺らしていたのが印象深い。代表曲「girls and boys」ではデーモンがMVで着用していたFILAのジャケットに身を包み、会場のボルテージは最高潮であった。かつて「ブリットポップは死んだ」と言い捨てた彼が20年の時を経てその袖に腕を通す、私ですらそうなのだからリアルタイムで彼らの音楽を聴いてきた人々からしてみれば、その感動は計り知れないものなのだろう。他にもグレアムのギタープレイや楽曲そのものに対し主にツイッター上でさまざまな感想やある種の礼賛が多く観てとれた。ちゃんと体調管理をしていれば筆者もその仲間に入れたのにな……。こうしてみると、音楽は本当にタイムレスなものなのだと感じる。数十年の時を経て人々の琴線を刺激する、こうした文化に私は敬意を払わずにはいられない。

🔷終
 こうして筆者のサマソニ2023、1日目が終了した。いやーブラーの記憶がないのが本当に悔やまれる。本当に、1にも2にも体調管理。つかもう夏場の開催自体困難では?動線なり人選なり課題は数あれ、まずは開催時期の再選定、そこなのではないかクリマン。でも結論、楽しかったです。2日目も行ったので、近いうちに書こうかな〜。それでは。

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