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鉄の匂い

 父と母の共通の友人に早川夫妻が居た。早川家の大黒柱、ブンちゃんは大型トラック運転手で面倒見のいい人だった。ブンちゃんはとても気前のいい男で誰彼構わず親身になって世話を焼いてしまうものだから皆んなに慕われ、どこに出向いても「ブンちゃんブンちゃん」と町内の人や商店のご主人や奥様に至るまで幅広く愛されていた。ブンちゃんの奥さんテツコおばちゃんは美容室を営んでいた。母は私が生まれる前から早川美容室に通っており、父もまた店に通っていたらしい。母と父との関係が芳しくなかった時も、母は早川美容室に通い、ブンちゃんとテツコおばちゃんが相談に乗ってくれていたと聞いた。ある時期の母にとっては心の拠り所でもあったのだろう。
様々な事情があり、祖父母の家に預けられて暮らすようになった小学校1年生の私は学校が終わって放課後を持て余す時分、真っ直ぐ祖父母の待つ家に帰りたくない時など、早川美容室に自然と足が向かっていた。

 家族が四人(父、母、兄、私)揃って長屋で暮らしていた僅かな時期がある。その長屋から歩いて数秒の場所に早川美容室はあった。いつ訪れても沢山の大人で賑わっていた。小さな田舎町の中でサロンの様な役目も果たしていたようだった。自宅兼美容室だったこともあり、早川家のリビングには常に知らない若者やおじさんおばさんが居た。母は幼なかった私を連れて早川美容室に頻繁に行っていたようで、当時の写真を観ると知らない大人に囲まれ笑っている私が写っている。おぼろげだが大変賑やかだった記憶がある。週末になると皆んなで色々な場所へ出掛けてもいたらしい。
早川美容室に行くと幼かった私の面倒を見てくれる大人達が沢山居て、母はとても助かっていたと言っていた。
1980年代前半の田舎町では近所付き合いも盛んで、個人商店はどこも活気があって栄えており、町内会の老若男女総出で子供を気にかけてくれる部分があったのだろう。その町のコミュニティが人々の善意によって保たれていた時代。核家族が増えていたとはいえ、誰の家にも曽祖父母、祖父母が一緒に暮らしており、各世代の考え方や知恵を見聞きすることで、子供だった私からすると、ものの考え方に偏りの少ない幼少期だったと今になって思うところがある。
当時の大人からするとややこしく、面倒なことも大いにあっただろうし、家族同士であっても、本音と建前のバランスをとりながら暮らしていたと思われる場面を見たこともあるが、言うなれば当時の社会にはまだ他人を気に掛けるだけの情があり、みんなが誰に対してもおせっかいを焼くのだが結局は人間同士、互いの苦労を皆まで言わずとも察せる位には優しかったのだ。

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