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寿司雑記3


数ヶ月前、テレビに成田悠輔という人が出演していて左右対称でないメガネをかけていた。右は○。左は□。なんとなしジッと画面を見ているうち、鼻が△に見えてきた。「まる、さんかんく、しかく……。鼻が△に見えるメガネ、顔面のバランスが整ってみえる」独り言。その後のこいのこ氏のうたう「まぁるさんかくしかくぅぅ〜」が口をついて出る。成田悠輔氏、最近本当によく電波媒体で目にする、耳にする。人の知的好奇心を刺激する様な話を煙に巻く様な抑揚の少ない声色で話すのを聴くうち脳内麻薬の分泌を促進し、逆にこちらの考えようとする思考を停止させる。恐ろしい。でも、聴いていて気持ちがいいのでつい、聴いてしまう。恐ろしい。
昨今ではあまり口語として使われることの少なくなった言葉を話したりしている所がニクい。そこに違和感を感じさせない所がニクい。あれ、わたしハマっているのではないか。恐ろしい。ラジオやテレビで喋り倒していた80年代のビートたけしを彷彿とさせる瞬間がある。たけし(敬称略)の醸し出していたシニカルさとはまた異なるけれど(時代も違うし、共感される本質も違うと思うけれど)、こういう人が私にとっては「テレビの人」なので、楽しい。あ、楽しいとか言ってしまった。やはりハマっている。


コロナ禍になってからのこの3年、まさかの連続です。その中でもまさかのナンバーワンはまさか自分がアイドルに夢中になるなんて!ということで、BTSを狂ったように聴き、全てのコンテンツを貪る様に見ていた。2020年8月21日(何故、ハッキリ憶えているのかと言うと自分の誕生日であり、この日にdynamiteがリリースされた)から2年半。今も大好きなのですが、「見汐さんの推し、誰?」と聞かれると一瞬口籠もってしまう。どんな商売でもメインストリームをひた走る人達に対し、素直に凄いな素晴らしなと思う様になったのはつい最近のことで、これまで色眼鏡が強過ぎて常に側道をヒーコラ走ってきた者からするとどうしても素直にキャピキャピできない。そんな自分、ダサいという気持ちが邪魔をしていたが、そんなクソの様な自尊心はもうない。ただ、なんというか私にとっての推しは押忍。即ち「押して忍ぶ」対象なので家から出ることの減ったコロナ禍の最中、起きてすぐ、動画配信を見ては「押忍押忍押忍押忍!おはようございます!今日もかっこいいっす!」昼飯を食べたら「押忍押忍!ご飯は食べましたか?私は食べました」寝る前は「押忍です!今日もたくさん元気を頂きました!明日もがんばれます!押忍!」と、コミュニケーションが減った時期、一人、画面に向かい挨拶を口にしては心の健康を保っていたので(この時点で随分病んでいたんだなと思うけれど)推しが誰かよりも5人揃ってゴレンジャーの如く、7人揃っている姿が好き。「押忍!数年後、また7人が揃う時まで、私も精進します!」なんだこの話。推しはRMです。この頃はまた1stから聴き直しております。


「なんでお寿司なんですか?」
昔から付き合いのある人は私のことをお寿司と呼ぶ。お寿司が好きだからと思われているのですが(大好きですが)それが理由ではなく、19歳の時分、当時勤めていたレコ屋の先輩、アミちゃんというプライマルスクリームが大好きだった女の子に「見汐さん、顔がお寿司っぽいね。これからお寿司ちゃんって呼んでいい?」と言われたのが発端です。「え?顔ですか?」「うん、顔がお寿司っぽいよね」「ちなみに、ネタなんですか?」「え?ネタ?うーん、シャリの方かな」「シャリ??それだったら酢飯じゃないですか」「あ!そっか!酢飯ちゃんだ。酢飯ちゃんか、シャリー。シャリーっていいね」「あー、ちょっと……。いや、ネタだと何ですか?」「たまご……かな、たまごちゃんって呼んだ方がいいかな」「いや、どれもちょっと…でもその3つならお寿司がいいです」
というやりとりを経て、19歳の頃から一部の友人知人にお寿司ちゃんと呼ばれています。昨今、あだ名で呼ぶことや、名前に必ず「さん」を付けて呼ぶことを推奨する小学校が増えてきているとニュースで見ました。価値観は時代によって常に変容するものだし仕方ないのでしょうが、個人的にはアミちゃんが付けてくれたあだ名により、大人になってからこの人は寿司が好きだと思ってもらえることでお土産に寿司を頂いたり、寿司屋に連れて行ってもらえたりいいことしかありません。アミちゃん、ありがとう。


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