寿司日乗124
2021年2月17日(水) 晴れ
10時半起床。水曜日は自身の暮らしの中で休日扱いをしている節がある。いつからかと考えるとこの5,6年そんな感じで過ごしているんだと気付いた。7日間の中で一息つくにはちょうど良いからだろう。どうだろう。
12時半、阿佐ヶ谷。
Rojiで昼飯を食べようと魯肉飯とつまみセット、生ビール。昼から飲むビールの美味さは大人になって覚えたことのひとつ。幸せですね。
久しぶりに会う友人知人が今日は多く、もう一杯…を繰り返すうちに16時過ぎていた。途中、Y監督が来店。先週観た「すばらしき世界」についてなど話していくうちに人間についての話になる。大きな枠の話だが、私は結局、人間という、ただ、いるだけで多大な情報量を抱えて、時には抱えきれずとも世の中の様々な結びつきで暮らしている生き物が、どう生きてきたのか、何故そう在るのか、そう怒るのか笑うのか泣くのか殺すのか守るのか消えるのか話すのか…に興味があるのだとYさんとのこれまでの会話の中で気付かせてもらえた時間が多い。「人間が好きか?」と聞かれた。よくわからない。よくわからないものに興味を持つことが好きなのかもしれないが、好きだからといってそれが何かの役に立つわけでもない。日頃から考えていることを口にして、それが会話の中で練られ、濾され、次が見えてくる。どんな内容であれ、じっくり会話ができる相手がいることに幸せを感じたりもするが、やはり人間が好きかと言われると判らない。
どうでもいいっちゃいい話だが、先日SNSを見ていて「人様に自分の考え、思っていることをクリアに表明する能力を身につけたい」と言う一文が目に入った。私も以前、同じようなことを考えている時期があり、当時アルバムのプロデュースを担ってもらっていたIさんに話したことがある。
「それは、考えていることも、思っていることも実はないということに等しいだけです」と返ってきた。「いや、考えてますし、思っていることもあります。ただ、言葉にならないんです」と言うと「まぁ、言葉にすべきではないことはある。言葉にならないではなく、言葉にしないという意識がそこには働くはずで、本当に言葉にできないとしたらその物事や事象と向き合ってないからです。見ると観察するが違うように、思うと考えるは同じではないです」というような事を言われ「こじつけじゃないですか」と返したような気がするが、今は私もそう思う。クリアに表明するには感じる、思う物事と対峙すべきだし、もっと言うと言葉にすることがクリアになることでもないと今なら思う。言葉は正解ではないし、口にするとき心の先端が人様の前に一瞬現れるようなもので、結局その言葉の解釈は放つ相手に頼るしかないところもある、危ういものだといつも思う。が、これも状況や場合によって全く変化するのだから当たり前に使っている言葉の脆さや危うさ、まやかし、扱えている気でいる自分の驕りに久しぶり、ハッと気付かされるSNSの一文だった。
逸脱した。
時計を見ると19時。慌てて会計を済ませ、帰宅。
20時。今日からオンラインで韓国語だけで会話する授業を始めた。いやはや、まだまだです。トホホ…。
書いて覚えて読む行為と、聞いて応えて話すことは同じ言葉でも相手が目の前にいるといないでは全く、異なるなと今日は言葉のことばかり考えていたように思います。열심히 할게요〜〜!(頑張ります)
오늘 하루도 수고하셨습니다.(今日も1日お疲れ様でした。)
昼:魯肉飯、おつまみセット(台湾の一品料理メインでどれも美味)、生ビール3、珈琲
夜:焼きそば、サラダ巻き
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