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寿司日乗322〜328

2022年8月1日(月)
朝、大分市内のアーケードをブラついて目に入った喫茶店に入りアイスコーヒーを飲む。やたらと話しかけてくるおばあさんと少し話し店を出る。
大分から福岡へ。大野城市にあるやきそばの店「想夫恋」で遅い昼食。店内ダイナー風な内装がいい。焼きそばメインで店をやっているというのもいい。肉を抜いてもらうともやしが増えていた。夕方、中洲川端駅から歩いて春吉へ。那珂川沿いを歩いていると急に昔の思い出が蘇る。欲しいギターとレコードを買う為、19の夏、暫く中洲のラウンジで働いていた夜のこと。
初日についたお客さんが横浜からきた大学教授で「君はなんでここで働いているの?」と尋ねられ素直に「欲しいギターとレコードがあって」と言い、音楽の話をたくさんした。その後こっそり1万円を手ににぎらせてくれた。私は驚いて「いやいや、なんか変なこととかできんし、いらんです」と慌てていると「はは…そういうのじゃない。大丈夫。あなたの話が面白かったからそのお礼」と頂き、私はこれまた素直に頂いたのだがその人と何故か店を出て帰り道でもバッタリ中洲の屋台で会い、本当に何をするでもなく那珂川沿いでずっと話をしていたことを思い出した。人の記憶は曖昧だけれど鮮明なまま小さなかけらになって残っているものなんだなと思う。
夜、とんちピクルスこと松浦さんの企画に数曲参加させて頂く。ずっと愛聴している浜田真理子さん、Sax奏者marinoさんとも初めてご挨拶。ご褒美みたいな夜だった。酩酊し、地元までの最終電車に飛び乗り帰宅。

8月2日(火)
朝7時に目が覚める。母と先生(義理の父、中学校の頃の先生だったのでずっと先生と呼んでいる)、姪っ子達2人に朝飯を作り食べる。小学校3年生になった下の姪っ子はとにかく元気いっぱいでよく食べる、喋る、動く、デカい、かわいい。エネルギーがはみ出してくる。私にもこれくらいの有り余るエネルギーが今欲しいと思いながら米をゆっくり咀嚼しているうち、彼女は茶碗いっぱいの白飯をペロリと平らげていた。「最近誰ももうだっこしてくれん」そう言って私にしがみついてきたので抱っこする。重い。腰をいわしそうになるも耐えた。姪っ子は嬉しそうに甘えてくる。誰かに目一杯甘えたいんだろう。わかる大人になってもそういう気持ちあるものなどと考えていると鼻の奥がツンとして心がむず痒くなりもう一度抱っこして振り回すとキャッキャと笑っていた。上の姪っ子はもう16歳。当時の私と比べたら大変にしっかりしている。現実を俯瞰する眼差しも、未来のことを絵空事ではなくしっかり考えている。なんて大人なの。会話の節々、態度などに諦念を感じるものの、今の10代ってみんなこうなのか。どうなんだ。昼寝の後、少し雑務など。夕方、先生が最近購入した旧車、日産サニー1000でドライブ。やはりミッションは最高だ。エアコンがないが(これからカスタムしていく予定らしい)車でしか味わえないスピード、速さが感じさせてくれる生ぬるい風の肌触りが心地よい。夜、母の一方的なお喋りをアテに晩酌。22時には疲れ切って就寝。

8月3日(水)
6時起床。朝飯を作る。
幼少の頃とってもお世話になったおばさんが数日前、突然死でこの世を去った。享年77。母と一緒に叔母さんの家に出向く。おばさんは美容室をきりもりしていて1980年代〜90年代当時、老若男女本当に色々な人間が集まるサロンのような役目も担っていた。ここで沢山の時間を過ごしたし、色んな大人に会って遊んでもらったり話したりしていた。仏壇に手を合わせてふと壁に目をやると一枚の絵が飾られていて、その絵を見た瞬間その絵のことを思い出し急に心が脈を打ち出した。忘れていたというより、初めから私の記憶にはなかったと言い切れるような感覚があるのに、その一枚の絵がこの店での全ての記憶を呼び起こし、私は号泣してしまっていた。その絵が過去への入り口となったのか、絵の奥で昔の出来事が動画のように動き出しそれを頭の中で反芻している最中にも驚きと悲しみが一緒にやってくるという不思議な感覚を味わい「あぁ、おばさんはもうこの世にいないのか」とストンと腑に落ちた音がした。この店で出会った沢山の人達の顔がどんどん浮かんでくる。これは多分、わたしにとっておばさんとの、おばさんを中心として私が過ごしてきた日々の記憶の整理が行われて、私なりの弔いを行っていたのだと思う。この、堰を切ったように突如溢れてくる鮮明な記憶のカケラのコラージュは人様には見せることのできないものだけれど、とてもキラキラとしていて美しくて甘ったるくて光っている。これをどうにか1枚の絵にできないものかと思ってしまう。思ってしまうが、空気に触れた瞬間、真っ黒になってしまう気もする。

8月4日(木)
6時起床。電車に乗って市内の街まで出る。2時間程散策がてら歩き、最後は海でボーッとした後、叔父が住む見汐家へ向かう。幼少の頃お気に入りだったグラス(当時のキリンレモンの特典で酒屋で買うともらえた。グラス自体が斜めにデザインされ、ミニーマウスのイラストがプリントされているグラス)を見つけ持って帰る。夜、晩酌しながら母と先生と談話。今年はできるだけ沢山帰省しようと思っている。年内もう一度帰れるといいのだが。夜、実家に帰省すると必ず観る伊丹十三作品。今夜も観ながら就寝。

8月5日(金)
11時半に実家を出て、16時過ぎに羽田着。東京に戻ると少し肌寒い。
その足で新宿「T」で軽く晩酌。週末といえど人の流れが途切れている。
20時前に帰宅、22時前には就寝。

8月6日(土)
9時に起きて、買い物、雑務など。
朝飯を作り、雑務少し。昼寝の後作業を少し。とある曲の録音の為、歌詞を起こし発音を確認するんだけれど、英語にも訛りがあるんだと改めて気付き、どううたうことがいいのかしばし考える。オリジナル通り、聴こえるママにうたうと発音がちょっと違う。細かいことだけれどこういうこと、とても重要な気がする。まぁ英語が堪能な人であればいいのだが私はそうではないし、人様の曲を身につけようとすると、耳で聴いて憶えることが多いのですが結局は嘘がないようにというところで落ち着く。なんでもまず模写することはとかく勉強になります。いくつになっても。夜、阿佐ヶ谷。Rojiへお土産を持っていく。客はOと私だけ。Oが「笑点の音楽に合わせてグチや腹に溜まったあれこれ言うと全部嫌味がなくなる、すなわち音楽ってすごい」と言い出したので、実際やってみる。お馴染み笑点のあの曲、♪チャンチャラチャララチャンチャン(パフ)確かに!口にした罵詈雑言が中和されている!というより音楽のテンションが嫌な部分をなくして言葉のみスーッと入ってくる!などと、感嘆し笑う。ほんと、どうでもいい話の方がハッとすること多し。22時半には店を出て帰宅。

8月7日(日)
9時起床。朝飯を作り食べる。購読している「文學会」を読む。特集は声と文学。今月号は友人知人が沢山掲載されていていつもよりついじっくり読む。後、昼寝。叔父の家から持ち帰ったグラスでカルピスを作って飲む。グラスを洗って水切りに置いた途端、落下して割れた。私はこんなことあっていいのか!と大号泣。自分でも驚くほど嗚咽を上げて泣く。大切にしようと思ったそばからこれだ。しばらくワンワンと泣いた後「グラス 割れる スピリチュアル」で検索する。何にでも意味があるのではとこういう時、意味を持ちたがる。「新たなステージに進む前兆」と書いてある。前向きに捉えるも、割れたグラスを捨てることはできず台所の隅に置いている。念を込めすぎて物を扱うと壊れるのも早い。持論。夜まで本を読んだり、音楽を聴いたり、映画を観たりなど。

今週は記憶との再会、過去の大海原を回遊し、今必要なものとそうでないものが分離していく一週間でした。8月、地味ではありますがやるべきことをコツコツやっていくひと月となりそうです。でっかい声で泣くの、身体にいいです。



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