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とまとおじさん 2

「お母さんはさぁ、とまとおじさんのことどやん思っとる?」
「どやんもこやんもなかやろ。みんないいお客さんやんね。なんでそやんかこと聞くとね?」
「別に、ただお客さんの中でいちばん話しやすいけん」
「……麻衣よ、話しやすいけんがいいひとやと思わんこと。やさしいけん、親切やけん、話しやすいけんてそいはね、その人間の質とはなんも関係なかけん。気をつけにゃならんとよ」
店に向かう車中、母にそれとなく尋ねてみたものの諭されただけだった。
「あんたはどう思っとるかわからんばってん、お母さんはね店を経営することに興味があるけんこの商売をやりよると。特に水商売はね人間を見る目ばもっとかんと騙されたら全部がそこで終わりやけんね。舐められたらもっとようない、お母さんの言いよる意味わかる?」
特に深い意味もなく、とまとおじさんのことをどう思うかと尋ねただけだったのだが、始終口調の強い母の物言いには、子供が店の客にあまり深入りするなという警告のようなものを感じ言い返すことをやめた。

 その晩、学校であったことなど他愛もない話をとまとおじさんに聴いてもらい、時々うたをうたうなどして過ごしていると、酩酊した客同士が口論を始めた。最初は周りにいた客も宥(なだ)めすかしながら笑っていたのだが、そのうち喧嘩の矛先が母に向かい、
「ママがあいつだけにえこ贔屓するけんこやんなるっちゃろうが!」
口論していた客の1人が突然腹の底から声を上げたと同時に自分の飲んでいたグラスを母に向けて投げつけた。母は咄嗟に避けていたがグラスは割れてしまい、私は怖くなってとまとおじさんの袖を無意識に掴んでいた。
母は臆することなく普段通りその客に笑顔で対応している。客は引っ込みがつかなくなったのか悪態を繰り返し、母に向かって手を出す勢いで立ちあがろうとした時だった。
「おい!ここは誰の店や?あんたの店か?違うやろ。酒のまずぅなるやろうが。たいがいにしとかんとぉ、くらさるっぞ」
カウンターに座る全ての客の足元を這うようなとまとおじさんの低い声が店の喧騒を一瞬で沈黙に変えた。さっきまで笑顔で話をしていたとまとおじさんとは違う、その地響きのような声色に私は目の前で起こっている事とは別の恐怖を感じ、それまで握っていたとまとおじさんの袖から瞬時に手を離した。
「はいはい、もうよかやんね。〇〇さん今日はツケでよかけん。帰ってゆっくり休んでください。明日電話で謝ってきてもタダじゃ許さんけんね!」
母が明るく客を諭し、その客は連れに肩を担がれ千鳥足で店を出た。その後、何事もなかったようにいつもの喧騒が戻り、誰かが歌をうたい、大きな声で笑う。この茶番のような光景に当てられ、ポカンとしていると母は私に歩み寄り、
「麻衣、大丈夫?もう今日は帰らんね。タクシー呼んだけん」
優しく言ったあと、眉間をしかめた形相でとまとおじさんを見据え、
「前も言うたけど、ああいう言い方は私の店でせんでもらってよかやろうか。今日は警察呼ばんでよかったばってん、もう次から来んでもらってよかやろうか」
小声で告げる母の言うことを、とまとおじさんは俯き黙ったまま聞いている。私は何がなんだかわからないまま、とまとおじさんと母を互いに見つめていると母が呼んだタクシーが到着し、私は強制的に帰宅することになり帰り支度を始めた時だった。
「麻衣ちゃん、ごめんね。また会えたらよかばってん。ほんと、楽しかった、ありがとね」
さっき聞いた地響きのような声色ではなく、丸みのあるいつもの声で囁くように言った。
「うん!また来週くるけん、話ばきいてね」
私はそう言いながら、もう来週からとまとおじさんには会えないんだろうなと思った。初めて会った時からとまとおじさんに感じていた矛盾の断片が垣間見えた夜だった。

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