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とまとおじさん 1

 1989年、10歳だった私は週末の殆どを母の営むスナックで過ごしていた。学校と家の往来、近場の公園や友人の家、近所をうろつき回るだけの世界では味わえない社会の縮図のような、店に集まる普段あまり会うこともない大人達に場合によって子供として扱われ、態度や言葉が私に対するおべんちゃらだと察した途端に意気消沈、次の瞬間には腹が立つような子供だった。
子供は子供なりに大人に気を遣い、その気遣い方は物知らず故、大人のそれより鋭い割に表現は下手くそ。常に敏感になってしまうのだが大人ときたら愚鈍な対応で済まそうとする。子供が居るには場違いな場所でもあったかもしれないが、軽くいなされる度、気を落とすような子供だった。相手にされない時は客の一挙手一投足を観察するようになり、
「このお兄さん、いつも隣に座った人に自慢話ばっかりして、自分に自信なさそう、気が弱いくせに見栄っ張りだなぁ」「このおじさんは優しい割に酔うと途端に口が悪くなるからいっぱい我慢していることがあるのかな」などと考えながら過ごすことが増えていた。酒に酔えば酔うほど、大人のとる行動に良くも悪くもほころびが見える。それらを観察し憶見する嫌味な子供だった。

 大勢の客の中にひとり気になる大人がいた。
いつどんな時も他の客と会話を交わすこともなく口数も少ない。毎回カウン
ターの隅に座り静かに酒を呑み帰っていく。私に気付くと「麻衣ちゃん、1曲うたってくれますか?」と言いリクエストをくれる。うたい終わると「ありがとう。お礼に一杯どうぞ」そう言って毎回決まってトマトジュースをご馳走してくれた。私はその人のことをとまとおじさんと呼ぶようになっていた。おじさんといっても30代前半くらいだったかと思う。
とまとおじさんは私に対し、話し方も態度もいやに丁寧だった。たったそれだけのことなのだが、子供だからといって邪険にされないことが嬉しかった。時間が深くなるにつれ、徐々に乱れていく大人達とは違い、店を出るその時まで来た時と同じ様子で帰っていくとまとおじさんが紳士に思えたのだが、ただひとつ気になることがあった。

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