寿司日乗76

2020年7月20日(月) 晴

毎日通る道、少し右に傾いた電信柱のたもとに16型のブラウン管テレビその上に、雨傘の役割をするかのように四角い茶色のお盆が逆さまに置かれている。もうひと月くらいか。粗大ゴミのシールは貼っていない。ゴミ捨て場でもない。このブラウン管テレビとお盆にとっても適材適所ではない。けれど嫌味がない。ブサイクな棄てられ方とも言えないし、生ゴミのように臭いもしなければ絶妙に、車や人の邪魔にもなっていない。ただ、置かれているだけのように棄てられたのか。もしかして忘れ物か。最近じゃ昔からそこにあった一枚岩のような風情さえ漂ってきている。

毎日目にする家のガレージ天井に蔓を広げ、今年も葡萄が沢山実っている。これを目にすると「ああ、夏が来たんだな」とここ数年、私にとっての風物詩だ。花火大会も、高校野球も、ライブフェスティバルも夏の恒例行事がなくなってしまっても、私の生活の中にはまだ、夏をジワリと身体の裏側から感じさせてくれる葡萄の群が近くに成っている。明るい黄緑色が眩しい。

毎朝朝刊を一時間ちょっとかけて読む。7月に入ってから毎日そうしている。大きな紙面に政治・経済・医療・コラム・お悩み相談・天気・行ってみたい催し物が掲載してあり、じっくり読む。気になる記事はハサミを使って切り取る。残しておきたいインタビューやコラムもファイルにしまう。
そして、誰も気に留めないような、結末だけが記された三面記事を読みながらその結末を迎えるまでの物語を想像する。この頃は以前にも増して横書きより縦書きの文字の方がしっかり読める。紙に触る、めくる、気になる箇所は端に折り目を付け、ゆっくり自分の間合いを崩さずに、書かれていることを理解していくことは、夏のこの暑さで乾いたり蒸れたりする身体を潤す為に飲む水のように、言葉を読むことは頭の中を少し軽くしてくれるし、気分が晴れる。

書いて残す程ではないものを、ツラツラと書いておくことは、
「なんでもないこと」にも正常に今まで通り、心が反応していることを意識できている気がしていて、自分にとって今はそれがいいような気がしています。

朝:なし
昼:白飯、豆腐とワカメの味噌汁、浅漬け、茄子の煮浸し、海老フライ

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