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寿司日乗113

2021年2月6日(土) 晴れ

5時半に目覚める。このまま起きて1日を始めるか迷うが、すぐ諦めて二度寝に入る前、しばらく朝が来るのを待つ。窓の外。黒い色が濃紺に変化し、徐々に青から水色、そして白み始めること20分。このいっときの時間が幼い頃から好きで胸がギュウとなる。カーテンと窓を開け深く深呼吸しているうち次に目覚めると13時半だった。

二度寝がいけなかったのか、とても気分か落ちている。それでも腹が減っていることでやることがあるのはいい。飯を食う為にパンを焼き、卵を焼いて、珈琲を淹れる。
15時前。
食事を済ませ作業に取り掛かろうと机に腰掛ける。目の前にある縦長の窓をいつも少し開けているのだが、ふっと入ってきた風が春の匂いだった。柔らかくて少し緩い。「あぁ、もう来月は3月だ」独り言。しばらくボゥっとしているうちに「消えたい」と思う。

「消えたい」
これは物心ついた時からある感覚で、私にとっては馴染みの友人みたいなものなのだが、死んでしまいたいという類のものでは全くなく、自分というものをどうにかしてなくすことはできないかという方が近いのだと思う。自我とも異なる。肉体とも異なる。ではなんなのでしょうか。未だ判らないし、考えないようにしています。それで、この「消えたい」が強く表層に出てくるととってしまう行動が家出。安易ですがそうすることで気分が晴れる。最初は5歳の頃で、いくつかの洋服をリュックサックに詰め込んで、近所にあった鉄道員宿舎に入り込んだ。家から歩いて数秒にあった場所でここに置いてある廃材になった鉄道用の部品(レールに打つ鉄の鋲や枕木)でよく遊んでいた。すぐ母に見つかり大層怒られるのだが、それでもそうしたかった。その次は9歳の頃。12歳、15歳とそういうことがあり、暫くなりを潜めていたのだが、数年前それは久しぶりに顔を出し、私は鞄に最低限必要な物を入れ、ロマンスカーに乗車し小田原に向かった。町をブラつき張り紙で求人をしている旅館を見つけ「すいません」と戸を開けて「ここで住み込みで働けますか?」と聞いた。本当に、頭でもおかしくなったのかと自分でも思うのだが、その時は本気なのだ。そしてもし、そこで採用されていたら私は多分働いていたと思う。と、いうようなことを酒場で友人に話すと怪訝な顔をされた後「最低だね」と言われた。何が最低なのかと聞くと「あんた、結婚してるしさ、黙って居なくなるなんて相手のこと何も考えてないし、自分勝手すぎるでしょ」と返ってきた。何も腹は立たない。至極真っ当な意見だと思ったのだが「じゃぁさ、もし私が自死したら同じこと思う?そんなに悩んでいたのなら何故私に言ってくれなかったのかなんてこと、考える?残された人の悲しさを先に想うより、私が何故そうせざる得なかったのかを考える?生きていなくなることと、死んでいなくなることとでどちらかを選んだ本人に対して想うことは変わるの?」私は心の底からそう思ったから聞いた。死んだらおいおいと悲しまれ、生きているのにいなくなることにはいい顔をされない。この差が何なのか考えてばかりいた日もある。もう2度と会えないことと、もしかしたらまた何処かで会えるかもしれないという絶望と希望がはっきりしていないものには誰も真剣に向き合ってくれないと幼少の頃から不思議で仕方なかった。「あんた、どっかで人間を、人生を舐めてんだよ」と返ってきた。「うん、そうかもしれない」と返した。断っておくが険悪な、辛辣な時間ではなかった。そういう話をできる友人が居ることに感謝もしている。私は人生を舐めているんだろう。幼少の頃と中学生の頃、2度に渡り父親が失踪したことも関係しているかもしれない。しかし、死を選ばず生きて、別の人生を送っているのならいいことじゃないかとどうしても思ってしまう。生きる為に逃げるという選択肢はどうもこの社会では許されないことみたい。家出の結末は結局、住み込みバイトをあしらわれるように断られ、旨い刺身定食を食べて夕方小田原を後にし、家に帰った。

ボゥとして束の間、そんなことを思い出していた。だからなんだよというだけの話だが、次、そうなった時私はどうするんだろうなぁとふと考える。

夕刻。
酒を買いに近所のスーパーへ行き、飲酒しながらこれを打って(書いて)いる。現在72ページ、書いた随筆を1度他人に読んでもらい、足りないもの、必要なものなど構成して欲しいと思うものの、どうしていいのかわからないままでいる。まぁもう少し書いて考えようとも思う。
あ、今縦長の窓から煮物の匂いが入ってきた。いい匂い。お腹が減ったので晩飯にする。(PM21:06)

昼:食パン、キャベツの人参のコールスロー、目玉焼き、昨日昼の残りカレー(パンにつけると美味!)、珈琲

夜:(これから)サラダ巻き、カップ麺、ポテトサラダにする予定


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