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SINGIN' IN THE RAIN

子供の頃は、街中に行けば映画館が無数にあった。

今でいう色んなジャンルの映画が複数集まって選べるシネコンの類ではなく、いわゆる単舘で、上映される映画の種類は場所によって異なり、アニメならこの映画館、ハリウッドの大物なら、邦画なら、
みたいなくくりで認知していた。


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当時、広島の中心部から程近い鷹野橋という街に、サロンシネマという歴史ある、ミニシアターの元祖とも呼ぶべき小さな映画館があった。
話題性に長けて観客を呼べるラインナップではなく、地味でも良質な映画を上映するこの映画館は昔から知る人ぞ知る、という感じだった。

今では広島のど真ん中に位置する商業ビルに場所を移して頑張っているのだけれど、当時は商店街を横切った飲食街の、古めかしいビルの中2階を挟んだ、確か3階にあった。

突如現れる長い階段の先には小さくてレトロな受付。柔らかい色彩の壁紙に赤いソファ。さびれた建物の中に、可愛らしくもサロンのような佇まいは異彩を放っていた。
確か階下には成人向けの別の映画館が一時期入っていたように記憶しているし、1階の、まだ開いていない居酒屋はどこか不穏な空気だったし、昔ながらの建物は天井が低くて薄暗く、どこか怪しい雰囲気を纏っていた。がしかし、3階はいつも主に女性客で賑わっていた。

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この映画館を初めて訪れたのは昭和から平成に移り変わる時期。私は中学生だった。

確かもう卒業も近い時期ではなかっただろうか。もしかして進路も決まって安堵していた頃じゃなかったか。いつもつるんでいた友達4人で、中でも当時から大人びて落ち着いていたMに誘われたんじゃなかったろうか。この映画館の存在を教えてくれたのも、知的で、博識な彼女からだったかもしれない。

どれも断片的で曖昧な記憶なのだけれど、映画館までなんとか歩いて行ける距離に住んでいた私たちは、アイドル映画でもアニメでもディズニーでもなく、なぜかアメリカミュージカル映画の名作「雨に唄えば」のリバイバル上映を観に行ったのだ。

『雨に唄えば』(あめにうたえば、原題:Singin' in the Rain)は、1952年に公開されたアメリカ合衆国のミュージカル映画。1929年の同名楽曲を原案とし、サイレント映画からトーキー映画に移る時代のハリウッドをコメディを交え描いた作品である。ジーン・ケリーとスタンリー・ドーネンが監督し、ケリー、ドナルド・オコナー、デビー・レイノルズが主演した。

Wikipedia


古い洋画もミュージカル映画も、恐らく字幕すら初めてだったはず。

なぜこの映画だったんだろう。

今から思えば、ただ単にこの"サロンシネマ"という未知なる映画館への興味だけでどこか背伸びしていたようにも思うし、しかしそれもまた若さゆえ、そしてそれぞれの道へ旅立つ子供たちの、最後の冒険だったのかもしれない。
当時の4人は近すぎず、でも遠くもない絶妙な距離感を保ち、中学生としてはしごく安定した関係性だった記憶がある。
だからこそ何となく、この関係は卒業と同時に終わりを迎えるような予感がしていた。

そして当日。
初めての場所に迷いつつも辿り着いたかの場所は、先に述べたまさに大人の場所。
皆冷静を保ちつつ、やべーとこに来たんじゃ…という空気に包まれていたことは想像できる。

階段を登った先の異空間は、当時の私たちの目にどう映ったろう。

狭いけれど趣のある、モダンな待合室から扉を開けたそこには、高い天井に青を基調としたフレスコ画が広がり、横幅のあるゆったりとしたソファに圧倒される。ミラーボールまで回っていた記憶もある。その光景は、それまでの数少ない経験ある映画館とは全く違っていた。
だだっ広い空間に折りたたみ式の硬い、狭いイスが画一的にずらっと並んでいるのが何となくそれまでのイメージだったのに、そのどれとも異なっていた。

ここは映画を心地よく感じるための空間なのだ。

その贅沢さに感動すら覚えた。

映画は本当に面白かった。
果たして子供に分かるのか?というのは杞憂で、まさにエンターテイメントのミュージカル映画に度肝抜かされ、感動したことを昨日の事のように思い出せる。
雨の中で陽気に歌い踊っていた主人公は、今でもあの大きなスクリーンの中で輝いている。

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その数年後、
短大生になった私は、友達同士、学校帰りにサロンシネマ系列のミニシアター(当時は鷹野橋含めシネツイン等4店舗くらいあったが、今では系列の象徴的八丁座を含む2店舗)へ何度も寄り道した。大人にさしかかりつつあった私たちは意識高い系に憧れ、ヨーロッパ映画の小難しさや社会性ある題材にとまどいつつも、バブルが崩壊しつつあることに気づきもしなかった最後の学生時代を謳歌しているところだった。

一度、このサロンシネマの当時支配人だった女性が講演に来た事がある。
唯一覚えているのは、
映画を沢山観てください。
ということだった。
そして勧められたのは、何故かフランス映画「髪結いの亭主」だった。

髪結いの亭主 1990年フランス


当時、地味ながらも話題性のある映画だったらしく、確かに今でもこの映画はコアなファンに愛されている。けれど正直、あれから約30年経とうかという今でも、私にはこの映画が難解なものとしてインプットされている。

支配人に言われた通り、でもないけれど、これまで沢山の映画を観てきた。
ハリウッドの大作は何となく敬遠しがちだったけれども、欧米映画も邦画も好きなジャンルは欠かさず観に行った。なかでもイギリス映画は高貴な時代ものから現代の格差社会の闇をかかえたものや、ひたすらライトなものまで大得意になったけれど、この手のフランス映画の良さは未だ分からない。登場人物の情緒不安定さと微睡が絶妙な、官能美も受け手の感受性に全てを委ねる、まさに、ざ、フランス的映画。
なんせ髪結の亭主になることに人生の全勢力を注ぐという、ストーカーも真っ青な映画なんだから。うろ覚えだが結末も納得いくものではない。

しかしまだ20歳に行き届かなかった私たちに、理容師のヒモになりたがる男の人生から、そんな男から愛される女から、彼女は何を伝えたかったんだろう。
ラストの哀しみに何を感じろと言いたかったんだろう。


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フィルムマラソンという、オールナイトで映画を鑑賞する企画物が定期的に行われていた。
確かテーマごとの4本立てで、私はクリスティーナ・リッチ特集を観に行った。
「スリーピーホロウ」
「200本のたばこ」
「バッファロー’66」
までは覚えているのだけれど、あと一本が思い出せない。おそらくその一本分まるまる寝てしまったに違いない。
途中、確かステージ下に司会者が登場し、眠気覚ましにじゃんけん大会だったかを開催してくれた記憶はあるのだけれど。

今では貫禄のあるハリウッド女優クリスティーナは、スクリーンの中ではまだあどけなさも残る可憐な顔立ちで、それでも数々共演する大御所ジョニー・デップに劣らない存在感があった。
夜中に鑑賞するホラーテイストの「スリーピーホロウ」は迫力があったけれど、主演2人の美しさによってどこかロマンチックな儚さを誘ったし「バッファロー’66」のこれまで観たことのないヴィンテージ感というか、主演ヴィンセント・ギャロの独特なアナーキーさがツボだったし「200本のたばこ」のパーティー感満載な群像劇も、どの映画もそれぞれ全く違う個性があり、お目当てのクリスティーナはチャーミングで、どれも違う顔を見せてくれた。
この回は当たりだな、と思った。

都会では今でもこんな映画館はたくさんあるのかもしれないけれど、広島では当時、このように遊び心ある企画ものはここだけでしか味わえなかったと思う。

映画館から出た時には、さすがに数時間ぶっ続けで座っていたおかげでソファと言えども臀部が痛む。
まだ朝ぼらけで街には車も、人の気配もあまりない。早朝特有の静かでしんとした空気、夜には賑わっていたであろう飲食店の赤提灯が、さっきまでの非現実的な暗闇の空間とのギャップを感じさせた。
ミッションをやり遂げた充実感と、疲労感が入り混じった心境だった。

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あれから数十年経ってしまった。
ただ映画は今も私の隣に、ある。
人生は辛いことの方が多かったような気がするし、老いに向かってひた走る今、孤独とも存分に向き合わなくてはいけない。


でも映画はいつも近くにある。


子供だった私たちが不安気に大人の階段を登ったあの時、スクリーンの登場人物たちが不器用に、精一杯生きていたあの光景は形を変えても昔も今も変わらない。
もう会うことのない、私の隣にいた制服姿の彼女たちもまた、今を一生懸命生きているのだろう。
あの陽気な映画がそのことを思い出させてくれる。

なにかに迷ったら、スクリーンの中で必死にもがいている彼らを思い出せばいい。
そこには色んな答えがある。

講堂の壇上であの時、あの上品な女性はそんなことを言いたかったんだろうか、
と今は勝手に解釈している。


あとがき


街の中心部、いたるところにあった映画館はほぼ消滅してしまった。

小学生の時、亡くなった母と初めて行った東映アニメ、2本立てだったアイドル映画に子供だけではダメだと友達の親が着いてきてくれた巨大な映画館も、タイタニックやボディガードを観た硬い椅子の地下の映画館も、みんな無くなってしまった。
それらは少し郊外にシネコンという形を変えて存在するようになった。

私は、オフィス街でもあり人の賑わう街の中心部に、多彩なジャンルの映画を上映する映画館があり続けることの意義は、確かにあると思っている。それも、広島という小さな地方都市で。

映画を観に出かけたわけではなく、デパートへ行き、ウィンドーショッピングをし、お目当ての店にご飯を食べに行き、街中を歩き回ったときに出会う映画館。
映画館によってみよう。の、その浮き立つような気持ち。
そしてできれば1人で、そこで突然出会った作品をしみじみと鑑賞することに大きな意味があるとも思っている。何より映画は、孤独を忘れさせてくれる。

ミニシアターならではの、小さな異国で作られた小さな物語やインドで踊り狂っている物語、例えひたすら難解で最後まで登場人物たちに感情移入できなくとも、ジェンダー問題について投げかけられる問いに答えられなくても、誰もが知る芸術家たちの荘厳で悲惨な歴史ドラマにも、出会ってしまったらそんなつもりもないのに新しい世界が開かれる可能性があるということ。

それこそが映画の醍醐味なのだろうと思っている。

※はるか昔の出来事でもしかしたら事実とは異なる部分もあるかもしれないけれど、なるべく記憶を辿って今の私が鮮やかに思い出すことが出来る全てを書いてみました。

広島で、今でもこのようなすばらしい映画館を経営して下さることに本当に感謝です。


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