どんなお部屋で暮らしたいのかを、ハッキリさせてみた
🛋
あなたがお家に求めるものは?
広さ?明るさ?機能性?収納の量?
それとも洗練された空間?お友達を招ける家?
私はあまり身体が頑丈ではないので、寒い家、暑い家など、身体に負担がかかることをなるだけ避けたい。
なので、吹き抜け?要らない。
大きなリビング?要らない。
冬は優しい光が差し込んで欲しい。夏の光はキラキラと庭に落ちてくれると嬉しい。
床が温かいとか、エアコンの位置なども大切。
また、ちょっとだけ届かない、とか、ワンアクションでやりたいことが遠く離れている、とかは避けたい。
家は、毎日の自分の生活に特化させたかった。
「身体に優しい家」と言うのが、私の理想のコンセプトだ。
住宅メーカーのキャッチコピーがこれだったら飛びついちゃうだろうな。
そして、出来ればどこでもストレッチやヨガが始められるといいな。
人がゴロンと出来る余白も緩さも、私が家に求めるものだった。
40歳になった時、ある程度自分軸もハッキリしてきたと感じた。
幼少の頃からインテリア雑誌などでイメージだけは膨らませてきた。
家の良きイメージが固まったので、コンセントの数や場所に至るまで自分で考えて、身体に優しい「楽な」家をつくった。(もちろんプロの方に相談しながらね)
家事動線は短く、掃除しやすく、片付けにストレスがかからない楽な家。
少しくらい流しに食器が残っていても、いつもいる場所からは見えないので、忘れていられる。
こういった自分のズボラさも考慮に入れて。
オシャレな家は意外と凸凹していたり、見渡せる開放感があったりして、汚れが目立ったり掃除が大変だったりする。
なので、そこは諦め、極力「楽」に特化させた。
引っ越しの日、本来なら幸せいっぱいになるはずだった。
それなのに、せっかくのマイホームに引越ししてきた私はおそろしく不機嫌だった。
なぜだ、、、?
驚くことに、それまで「愛用」していた家具やモノ達が一瞬でイヤになったのだ。
この感情をどうしたらいいのだろう?と戸惑うくらい、この家にモノを入れるのがイヤだった。
引越し屋さんが運び入れてくれるダンボールの山を見て、泣きそうになった。
この家に何も入れたくない( > < )!!
ダンボールが開けられなくなった。
(結局この時、2人の息子が何か私の異変に気づき、せっせとダンボールを開け、ひとまず生活が出来るようにしてくれた。当時小学生の2人。なんかこんな母でごめん😥)
その時、分かった。
モノに対する私の思いが、儚いことを。
何で大切にしてきたはずのお気に入りのモノ達が急にイヤになったのかは、分からなかった。
しかしこのままモノへの向き合い方を見直さないと、近い将来お金の使い方を後悔したり、言葉にはならないモヤモヤが積もってしまうかもしれない。
せっかく身体に優しい家をつくったのに、モノで心を乱してはいけない。
そこから私は、極力モノを増やさないことを意識し始めた。
それからというもの、私は以前の10分の1もインテリア雑貨と言われるものも買わなくなった。
旅行先で思い出の品なんて以ての外。
素敵な瓶や缶も残さなくなった。
あの時の「全部イヤになった」感情を思い出すと、とてもじゃないけど、思いのままに購入出来なくなった。
誰かがうちに遊びに来てくれて、何かそういった雑貨を褒めてくれたら、もれなく差し上げる。(もしこれを読んで、レナ蔵の家のモノで欲しいものあったんだけど、まだ貰ってないよって人いたら、連絡して!笑)
だからと言って、私はミニマリストと言える域には達していない。
シンプリストの駆け出しって感じの物量だ。
モノを捨てない夫と、思い出の品こそ命の次男、この2人のモノがある限りお家丸ごとミニマルにすることは今後も出来ないだろう。
人と暮らすということは、それぞれの価値観を融和させていくしかない。
私自身も、あの時イヤになったモノ達を全て手放したかというと、もちろん全てということもなくて、またそのモノ達と仲良く暮らしているのだ。
暫くするとイヤだった気持ちも消えていた。
どんな時にも振り切れない中途半端な自分がいる。
それでもあの時の全部イヤになった感情は、私のモノの持ち方を少し賢くしてくれた。
それ以来自分で決めた、買わない貰わないルールもある。
それで後悔したことは、今のところ一つもない。
そして、ほぼ全てのモノに住所がある家になった。
モノに躓いて怪我をする事もないし、探し物のストレスも無い。
訪れる友人に「この家で暮らしたい」と言われるようになる。
「この家、マッタリして帰れなくなる家なんだよねぇ」と言われた時は、自分だけではなく、大切な人達も癒せる家になったことが嬉しかった。
手放しの軸や、モノへの価値観はさまざま。
自分が気持ちよく暮らせているなら問題は無い。
だけどもし、自分の家に帰った時、
なんかモヤっとするなと思ったり、自分の望んでいる場所だと思えないのだとしたら、その違和感は大切だと思う。
一緒に活動をしているhirotan_hibiyaがInstagramでいい言葉をくれた。
✨
手放しを邪魔する「もったいない」を克服する
頑張ってきたこと、お金をかけてきたものを手放すのがもったいない?
もったいないが手放しを妨げてくる
過去の失敗を認めたくない?
失敗じゃない!
自分が以前より賢くなったということ
✨ひろたんのInstagramより👆
モヤっとや違和感は、自分が自分に大事なメッセージを伝えようとしてくれているサインだと感じる。
以前より目が肥えた、良いものへの感度が上がった、価値観がアップデートされた、など感性が成長している証拠なのかもしれない。
これは手放しや良き家に整えるチャンスだと、捉えてみたらどうだろう。
家賃9千円、築45年の古い社宅に住んでいた25年前から、居心地を追求した居場所づくりを私も細々とやってきた。
お手本は世にたくさん溢れているけれど、最後の正解は自分の中にしかなかったようにも思う。
年齢によっても変化させる、優しい家。
まだ道は半ば。
これも大切な終活。
今日のガイドブックジャーニー(レナ蔵ブログ)は、『モノの管理能力と時間の価値』と題して、
モノの管理で人生を変える?お話を書きました。
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