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私の母の私が生まれるまでを、息継ぎせず一気に話すとこんな感じ。


思春期は田舎の政治家の一人娘として育つ。
10代後半になると、7歳年上だった私の父の一目惚れから交際がスタート。
その当時彼氏だった父に、憧れのグランドピアノを買って貰い、夢中で練習していたら3年後音大に合格。
入学を機に父と結婚をし、大学を卒業した春、私を産んだ。


これだけを聴くと、なんだかドタバタではあるものの、素敵な話に聞こえてくる。

しかし、母親になった母は、この少し狂おしくみえる経歴のはるか向こう側をいく人だった。


私は45年間彼女の娘をして、色んなことを学ばせてもらった。

亡くなってもう何年もなるが、みんなの記憶から彼女が消えることはない。
今も話題の中心だ。

そういう意味では、彼女は凄い。


母は自分のことを永遠の「文学少女」だと思っていた。

ロシア文学にかぶれていた頃に私が生まれたので、私の名前はロシアの地名なのだ。

確かに私が思い出す彼女は、いつも何かを読んでいた。

小説、新聞、雑誌、参考書。

人とうまく繋がれない彼女の居場所は、文字の中だったのかもしれない。

もし何十年か後の世界で、私と彼女が親娘でも、主なやり取りがテキストのみならこんなに「酷い思い出」が溢れないかもしれない。(希望的観測)


だけど、それもこれももう終わった話。

今日のブログは、自分自身の「育て直し」の意味も含めて 書いた。


「思う」と「伝える」の間で と題して

エンディングノートの「履歴とゆかり」に想いを馳せるお話。


振り返りが苦手な私が、勇気を出して振り返りを始めている。

親子関係で切ない思いを抱えておられる方にとって、今回のブログが何か風穴のようなものになれば嬉しい。

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