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日本におけるデジタル化が進まない理由

最近、DXの講演をしていて「もしかしたらここがデジタル化、DXなどを阻害しているのかも?」というポイントがあったので今回はその点を書きます。

デジタル=理解できないモノ

 デジタルトランスフォーメーションの話をしていると度々出てくるワードとして「よく分からない」というフレーズがでてきます。
 詳しく聞いてみるとデジタル自体が複雑かつ専門的すぎて理解しようとしても難しすぎる。結果的には「わからない」というフレーズになっていることが多くあります。

 この点については、「むずかしいことを簡単に」というエバンジェリスト講演などで解決できるのですが、いろいろ理解を頂いてもその先にもう一つ大きなハードルがあるように感じてます。

デジタルトランスフォーメーションとはそもそも・・・

 デジタルトランスフォーメーションとはそもそもデジタルを使いありたい姿を実現するモノです。みなさまのありたい姿はどのようなものでしょうか?
 複雑怪奇なことでないのは明らかです。

 むしろ、簡単に、気軽に、豊かに暮らせる世界を実現することがデジタルトランスフォーメーションに求められる姿です。

 しかしながら、日本においてはこのデジタルトランスフォーメーションがなかなか進んでいないのが現状です。
 デジタル化を進めても結局現場負担が増え、複雑な処理を強いられる。なんてこともあります。

 なぜ進まないのでしょうか。

 一方で海外ではDXという言葉を使わなくてもデジタルトランスフォーメーションが進んでいます。デジタルを使い利用者のありたい姿を次々実現することはいわば「当たり前のこと」だからです。

 デジタルを使うことで複雑化する。ということは手段(仕組み重視)の話であり、ありたい姿ではないため、利用者が使いにくくなってしまいます。

海外と日本で何が異なるのか?

 では、海外と日本でどのようなところに違いがあるのか。色々考えた結果、日本と海外では「責任」に対する違いが関係しているように感じました。

 海外では、情報の取り扱いなど「責任」が各個人に課せられています。

 例えば、情報が漏洩した際、外資系企業においては「漏洩した個人に責任」が問われます。全ての損害保証を個人で行うことなど雇用契約上に明記されている会社も存在します。
 当然ながら情報漏洩しない仕組みは各企業とも手厚く提供されているのですが、それを使う、使わない、は個人に委ねられています。
 つまりは個人は責任を負うために情報の取り扱いやセキュリティなどについて「最低限の知識を有してなければならない」ということになります。
 つまり企業ではなく「各個人」がしっかりと「責任」を負うことになっているため、企業としてはデジタル活用などを進めやすくなります。

 一方、日本では「企業」自体が責任を負い、「個人」は多少責任はあるかと思いますが、海外に比べれば重さが違っています。

 「企業」としては全ての責任を負う必要がありますから、海外に比べ「データの扱い」について細心の注意が必要になります。より安全に振るためなるべくデータにアクセスできる人を特定し漏洩を極力防ぐようにしてしまいます。
 データ自体の活用ができない、ネットワークなどのアクセスも制限する、システム連携も最小限に・・・などわからないデジタルの扱いを安全に振りすぎ、デジタルそのものの利便性を下げる結果になってしまい、システムが複雑化したり、連携ができずにいるのです。

 海外では個人への責任を負われるため、便利が向上しています。
 しかしながら海外では漏洩事件もそれほど聞かれません。
 その背景には、個人に対してデジタル情報に関する責任負担が高いところも影響していると感じます。

日本においても法律が変わる

 実は日本においても個人情報取り扱いに関する罰則規定が大きく変わりました。
 命令違反時の罰金が今まで30万円以下、となっていましたが、2022年4月から1億円以下と大きく責任を課せられるようになりました。
 また、情報漏洩発生時の報告義務化されました。

 今後は情報取扱に対する対応も更に厳しくなるでしょう。

 この流れがさらにシステムに制限がかかってしまうとデジタルトランスフォーメーションが進まなくなってしまいます。

 今後は「責任」について企業自体では受け切れなくなることも予想されます。
 そのような状況の中「責任」所存が海外と同じように「個人」へ移行するかもしれません。

 各個人がよりデジタルに関する理解を深めることが今後求められることになりそうです。

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