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出芽酵母的生き方と分裂酵母的生き方〜老化があるからこそできる覚悟?

 最近大学院生向けに、「死の瞬間の生物学」というテーマで講義した。ライブイメージング技術の発展とマイクロ流体デバイスの開発により、細胞を低侵襲の状態で長期間観察することが可能になり、寿命を全うした生物の死の瞬間になにがおきているかが記録されるようになっている。繊毛虫のBlepharismaの観察から、分裂能を失った単細胞生物が、破裂しながら死に行く様が観察されている(Instagram)。死ぬ過程の細胞の内部に注目してみると、細胞内構造がぐちゃぐちゃに破壊されていく過程がみられ、これはおそらく、普段細胞小器官に格納されている分解酵素群が細胞質に放出された結果、細胞内が次々と消化されていったことを意味している。このことから、「膜機能の破綻」が細胞にとっての最終的な死のタイミングなのではないか、というのが講義の結論であった。似たような像は、寿命を全うした出芽酵母(いわゆるパン酵母)の死の瞬間でも観察されている(PNAS)。
 ところで、生物のほぼずべての化学反応を支えるエネルギー源として細胞内にプールされているATPが、実際にどのような反応に配分されているかはかなり詳細に調べられている。数理的観点から細胞内の活動を眺めた良書“CELL BIOLOGY by the numbers”によると、膜内外の物質輸送に関与するポンプに細胞中のATPのかなりの割合が割かれており、例えば脳では、実に60%のATPがNa+/K+ ATPaseによる細胞膜内外のイオンの濃度差形成に使われている。すなわち、細胞の正常な活動は膜内外の溶質の不均一性を担保することにより保証されていて、それがうまくいかなくなった瞬間に細胞が死への階段を降り始めるということなのだろう。このような膜機能の破綻は、多細胞生物の死の瞬間でも観察されている。線虫では、死の瞬間に青色蛍光が発せれることが発見されているが、これはこの生物の消化管の細胞中で、リソソーム様細胞小器官に蓄積された物質が細胞質に放出されることでおきる(PLoS Biology1)。すなわち、特定組織にある特定の膜の機能消失の瞬間に、線虫は蛍光を発しつつ生涯を閉じることになるのである。

 さて、我々を含めて多くの生物種では、死は老化と隣り合わせである。というか、生物学的な老化(senescence)は、加齢とともに各個体の生存率を低下させる段階的な変化、機能低下や機能喪失のことを言うので、老化とは死の可能性が高まる、年齢に応じた変化のことなのである。老化があるために我々は無限に生き続けることができないわけで、古代から権力者たちは(権力者に限らずかもしれない)、老化しない=死ななくて済むようになる薬を探し求め続けてきた。
 私が研究材料に続けている前出の出芽酵母でも、老化がおき、その結果ある一定回数分裂がおきると寿命を迎える。この酵母では、大きな細胞(母細胞)から小さな細胞(娘細胞)を生じるという非対称分裂によって細胞数が増加していくが、この母細胞が一生に産み出せる娘細胞の数に限りがあり、20〜30回分裂した(娘を産んだ)母細胞は老化し、分裂できなくなって死を迎える。この酵母において、娘を産む際の母の努力は涙ぐましいもので、母細胞は老化の原因となる物質をすべて自分側で引き受け、娘にはそれらが配分されないようにしている(そのため、母の「齢」に関わらず、娘は健康な状態で産まれてくる!)。
 ところで、研究材料として使われる別種の酵母として分裂酵母がある。最近の研究で、この酵母は老化しないことが明らかになった(PLoS Biology2)。ただ、このことは分裂酵母が不死であり、無限に増殖可能だということを意味しているわけではない。分裂酵母においても、1つの細胞は無限には分裂できず、やがて分裂できない状態になって死を迎える。ただし、死のタイミングはそれまでの分裂回数には無関係で、一定の確率でそれぞれの細胞に死が降りかかってくるということなのだ。その確率とは、この酵母が元気よく生えている条件で1分あたり10,000分の1、1細胞分裂あたりで計算すると100分の1。すなわちこのことは、死亡率が加齢に応じて増えていかない(老化がおきない)かわりに、集団に存在する細胞のうち、一定の割合で選ばれたものが順次死を迎えていくことを意味している。

 ということで、この講義回、「皆さんは、出芽酵母的生き方と分裂酵母的生き方のどちらを選びたいですか?」という問いかけが締めの言葉であった。出芽酵母的生き方では、加齢に伴う体力低下を感じ、それを嘆きながらも、来るべき死を迎える心構えはできるだろう。一方、分裂酵母的生き方では、歳をとっても変わらず元気でいられるものの、いつお迎えがくるか予想ができない。くじ運が悪ければ、働き盛りのある日突然、死ななければならなくなるかもしれないわけで。うーん、私は出芽酵母的生き方で良いかなあ、・・・。

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