『奔流 コロナ専門家はなぜ消されたのか』を読んでわかる「専門家の意見」をうまく使えない日本の政治家と自分でリスク管理ができない日本国民

久々の更新です。コロナ感染者は低下してきています。少なくとも自分の周りの病院はなんとか医療崩壊しないで済んだようで、前回のブログのようになってきています。(もちろん後遺症など問題はしっかりありますけど)

『奔流 コロナ専門家はなぜ消されたのか』をやっと全部読み終えました。コロナ対策の時間軸が整理できたとともに、当時の政治家の行動のいい加減さがとてもよくわかりました。

尾身先生の国民への「変わりばえのしない感染対策提言」に対して、当時感じた少しの違和感の原因がわかりとてもスッキリしました。そう何を提言しても響かない政治家が行動を起こさないため提言を変えようがなかったからなのでしょう。

そして一部の人たちからこの「英雄」たちが批判されるようになったのは、政治家たちによって歪められた都合のいい「広報」が原因だったということも。

特に日本のコロナ対策において総理が提言した結構重大な3点

1 安倍総理の全国一斉休校
2 菅総理のGo Toの前倒しスタート
3 岸田総理の感染後の待機期間短縮

この3点が専門家の意見を全く聞くことなく決められていたということがわかったことで、日本はとても運が良かった、そしてその後の始末が大変だったのだと理解しました。

また小池都知事と菅総理における緊急事態宣言の駆け引きの部分は、国民の命より政局という政治家の価値観に驚きを感じながら読みました。私が感じていたなぜもっとうまくできないのかという苛立ちはこのためだったと思うと本当政治家という職業に幻滅します。(まあ選挙に出た経験からもそんな簡単なものではないことはわかっていますけどね)

また
大竹先生
「肺炎で命を奪われる人の健康を守る事に重きを置くべきか、コロナ対策を続けることで豊さを奪われる人の人生を守る事に重きを置くべきか」
仲田先生
「命と経済のトレードオフ」
古内先生
「10万人が死亡する」

の描写、データ解釈もとても興味深かったです。そうどうやっても犠牲は0にはできません。

最後に日本国民における危機管理意識の欠如という問題について

「政府が国民の箸の上げ下げまで介入するのではなく、国民一人ひとりがリスクを判断する時期に来ている」

「セキュリティというものを他者に任せていて、依存していれば大丈夫と考えてしまうような、自主性が欠けているような国民性がありはしないか」

などの描写には今回の地震含めて今までの日本政府の危機管理においてまさにです。

その上で政治家には

「価値観にかかわる領域について専門家は踏み込むべきではないし、踏み込む資格もない。ここは有権者に選ばれた政治家に決めてもらうしかない」

「国民の生と死のありようにかかわる方針は有権者に選ばれた政治家が決定すべきこと、人の死を同社会が受け止めるか、政治家が自分の言葉で国民に語りかけるべきこと」

この文言をしっかり受け止めて、政治家には行動、発言して欲しいと思いますし、その上でメディアも賢くなって政治家の責任を追及して欲しいと感じます。もちろんその上で専門家たちにも責任があるというのならワクチン問題含めて司法を巻き込み議論することはありだと個人的には思っています。

ただ「元WHO西太平洋地域事務局長」尾身先生のやや政治家的立場からの行動・発言に対して当然批判はあるでしょうが、最後のインタビュー含めては私は本当尊敬しかないということでこの文章を締めます。




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