ソーシャルインクルージョン
障害者らを社会から隔離排除するのではなく、社会の中で共に助け合って生きていこうという考え方。
私自身、55年程前、静岡にあった養護学校へ入学した。今の支援学校の前の呼び名である。高校卒業するまで同じ仲間と過ごした事が懐かしく蘇ってくる。その当時は東部中部西部に一校ずつで障害も軽度で、車椅子利用者はそんなにいなかった。そして地域との交流など無かった様な気がする。記憶にない、分断されていたのでしょう。悲しいかな現在でも感じるのだ。
障害者の社会参加を妨げるもの
インフラなどの設備面や、障害者に不利な制度面など、様々な点が挙げられる。ただ、最も厚い壁は、人々の意識の中にあるのではないでしょうか。
人間には、支え合おうとする心もあれば、差異に執着し排除する心もある。差別され苦しむ人がいる。
自分と違うという理由だけで何となく苦手意識を感じたり接触を避けたり知らないフリをしてしまっている人は少なくないのではないでしょうか?
手を貸したくても貸し方が分からない。
声をかけたくても気分を害してしまうかも知れないからかけられない。
一緒にやってみたくても傷つけてしまうかもしれないからできない。
たまに、こんな事話して傷つけたら御免なさいと言われることがある。それこそが嫌なんだよ~である。
普段どうやって障害者と接したらいいの?
健常者も障害者も過剰に接するんじゃなくて自然体でいいんです!といったような歩み寄りが自然に発生することが大事。
日本人が、街中で障害のある人が困っていることに気づいても、声をかけられないのは「手を貸すことで、困らせてしまったらどうしよう」と考えてしまうんでしょうね。
冷たいのではなく、遠慮しすぎているんだと思います。
声をかけて失敗することも沢山あるでしょう。でも、失敗の方が糧になります。
空気を読みすぎても、一歩を踏み出せない。だから、失敗して、慣れていくしかないと思います。
実は近くにある全く知らない世界。障害者健常者の人間同士の交流はどことなくぎこちない。
もっと自然に
もっと楽しく
もっとフランクに
お互いのことを知ること。
すぐに相互理解は難しいので、それよりも存在をありのままにみせる。そしてチューニングを合わせてみる。イメージを変える。知ることでズレは小さくなる。
どうすればいいのか?
何ができるのか?
何を話しかけてよいのか?
見えてくると思います。
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