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“私だけが知っている魅力”に人は恋をする。あなたは親密な関係を持っていますか? ファニー・アルダンの場合。#ジュヌセクワ

“自分の人生を生きる”ために、服はもちろん、価値観さえも自分で選ぶことをレッスンしている195教室。

これは、あるひとりの監督によって確立されたといっても過言ではない私の仏映画好きと関わりがあるのだと感じたのは、つい最近のこと。

“頭を働かせること、屈しないこと、人を笑わせること、軽やかに振る舞うこと。深みのあることをさりげなく言う術を心得ている稀有な知性の持ち主”と言われたフランソワ・トリュフォー監督である。

今日は、そのトリュフォー監督に見いだされ、愛された女優ファニー・アルダン。大きな口と鋭い眼、ハスキーな声が印象的だ。若さでは絶対に太刀打ちできない魅力。若い私には全く理解ができずにいたその魅力。それが最近、ようやくわかってきたのだ。それは、親密になった時にだけ優しくしてくれるような個人的な存在感だった。

フランスには、「ジュヌセクワ」というフレーズがある。「なぜそうなのかわからない」という直訳なのだが、実はこれは、ほめ言葉。つまり“魅力”というものの本質は、何故だかわからないけれど惹かれてしまう、ということ。他の誰もが知っている長所より、誰にも知られていない“私だけが知っている魅力”を認めたことによる人間関係が、恋を生み、自分らしい人生をつくるのではないか。

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解りにくいとされる仏映画は、そんな個人的な魅力の宝庫だと思えばいい。解ろうとしなくていいのだ。映画監督としての仕事の全てを「私小説」として仕上げた映画作家と言われているトリュフォー。私小説の中の女性が子を産み育て、仏を代表する女優となって今、ひとつの例をみせてくれる。

情報網の発達で、人々の感覚が平均化する現代。そんな時代だからこそ、「自分にしか見つけられない誰かの魅力」を探してみてはどうだろう?多少リスクがありそうでも、己の感性を信じて誰かに接近してみる。もっと人間臭く、もっと自分の私的欲求に忠実に。そんな関係の中にこそ、“自分がこの世でかけがえのない存在である”ということを実感できるのではないだろうか。

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